半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

ルワンダ中央銀行総裁日記

古典的名著と言われているこれ、ちょっと前に読んだ。
日本銀行の筆者が、国連の依頼をうけて、独立したばかりのルワンダ中央銀行の総裁を命ぜられてルワンダ中央銀行総裁を勤める日記。
もちろん、ノンフィクション。

まずなにより、文章がいい。簡潔にして要を得ている。
今のようにPCで文字を書く時代でもなく、紙余り時代ではないので、ダラダラと書いたりせず、昔は文章の密度が濃い。
その時代の香りがする。
読み味からすれば、ジュリアス・シーザーの『ガリア戦記』や荻生徂徠などの読み物に近い明晰さがある。

そして、要職に任命された誇りや、専門職の矜持、しかしアフリカの実情に対する落胆、しかし差別主義者でもなく、貴族主義者でもない公平な視点。
そういったものが短い文章の中に折り込まれており、気持ちがよい。

それはそうと、アジア・アフリカ会議の時代、植民地が続々と独立した黎明期、一から官僚組織を作り上げるのはどれほど大変だったことだろう。
日本は、明治維新の前にも文民・官僚機構があったわけだから、新しい行政組織への移行にはずいぶん有利であったんだろうなあと思った。

ルワンダ内戦前の赴任であり、後のルワンダ内戦の話についてはあまり触れられていない(巻末に少しだけ補足あり)。

『東京どこに住む?』

読み切っていない本を忘却の彼方に葬り去るのには気が引ける。
なので、Kindleの読みかけの本をずっとiPadのダウンロード済入れていると、耐え難いほど動作が重くなってきた。
とりあえず今読んでいない積読の本を書棚に出していたら、溢れてきた、みたいな感じだ。

なので、古いやつを整理して今読んでいるが、なかなか面白い。
コロナ禍前のこれ。
コロナ禍前、東京に頻繁に出張に行っていた頃は、なんなら東京のマンションでも買ってやろうか、とでも思っていた時があった。
そんな時に東京の住宅事情を理解するために買ったような気がする。

社会学的な話。
東京東側の成立過程と西側の住宅地の成立過程、文化の分断などの話。
昨今の世界全体の都市事情、コンパクトシティ化による皇居5km圏内への人口の再流入の話。

・東京の西側に住んでいる人たちはスカイツリーに興味をもっていない
・東側の下町と、山手の住宅地の差異
・中央線がなんか苦手 「働かなくても許される雰囲気が嫌い?」 「中央線中華思想
・しかし過去は、完全に階級によって分断されていた


・東京は中心にある5-6区とそれ以外で分けた方がしっくりくる
・「閑静な住宅街」 「陽」と「陰」
・日本人の平均生涯移動回数は4-5であるが、先進国ではかなり少ない(アメリカは4倍くらい)
・都市の規模が二倍になると給与は10パーセント増えるが、物価は16パーセント高くなる
田中角栄の国土改造計画(地方分散奨励)。しかし地方創生は実質ばらまき
・人は近くにいると「互いに学び合う」。「他人の近くにいること」で得られる効用は「頭がよくなる」こと。
アルビン・トフラーの都市予測はみごとに外れた

このまえ「田舎はいやらしい」という本を読んだが、
都市計画、国土計画の常識が、まだまだ僕には足りないな。

参考:

halfboileddoc.hatenablog.com
都市生活の果ての、独居老人スタイル。

halfboileddoc.hatenablog.com
これは、同じ「都市」を社会学的にで切り取るのではなく「地理」で切り取ったらこうなる。

halfboileddoc.hatenablog.com
又吉の文章による東京の風景素描。これはこれで、一つの都市生活の様相がよくわかる。

halfboileddoc.hatenablog.com
具体的な都市生活というよりは近代都市生活について、みたいな話だとは思う。

「おばちゃんたちのいるところ」

松田青子さんについては、今まで何冊か読んではきていた。

halfboileddoc.hatenablog.com
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んー、なんといいますか、不思議な読み味。
「怪獣たちのいるところ」という絵本があるが、あれを少しひねって「おばちゃんたちのいるところ」

一言でいうと、ジェンダーの問題とか、男性と女性の世界の視点のズレ、みたいなものを、明晰にぶった斬る、というわけではなく、差異を差異として、描き出している、という感じだろうか。

男の世界と女の世界は、現世の世界と怪異の世界との違いくらい違う。
ということか。

でも男の世界と女の世界は日常で地続きである。そのように、この小説世界では、怪異の世界と日常が出現する。それも、日常と地続きのテンションで。
連作短編のようであり、今ひとつ輪郭が不鮮明であり。なんだか全体にぼんやりしているのだけれども、これはあくまで作者が意図的にそういう作りにしているわけで、そのぼんやりした怪異と日常との地続き感が、不思議な読後感になっていると思った。
怪異の話なのに、風のない日曜日の午後のようなぬるっとした空気。
シリアスでもなくどことなくユーモラスな世界。
メッセージ性がなさそうである。あるようであいまい。なんやろこれ。
もやもやする(悪い意味じゃなく)。

村上春樹『職業としての小説家』

我々は小説家ではないが、小説家が小説家のありようについて語るというのは、
結局自分の職業について語ること、と普遍化できると思う。

以前、村上春樹が趣味のランニングとマラソンについて書いた、「走ることについて語るときに僕の語ること」

は、ジョギングについて語っているように見せかけて、気がつくと、個人史や仕事についての哲学みたいなものを語っている…みたいな本だった。

今回のこれはもうちょっとシンプルに小説家について、また小説家のありようについて語っている。
とはいえ、村上春樹の小説家としてのライフスタイルはやや他の小説家に比べて特殊ではあるので、小説家になるための一般論であるとは言い難い。

私はいわゆる『ハルキスト』なので、あちこちのエッセイや対談などで話している内容は相当量読んでいる。
今までの彼のアイデアを「小説家」というお題でまとめ直した内容であり、その意味で新奇さはなかった。

しかしクリエイターとして、創作を行う人間の心構えや、人としてのあり方、という視点では、ずいぶん参考になるようなものが散りばめられていたように思う。
私は趣味として音楽を演奏し、ジャズのアドリブソロを弾いたりする。
しかし所詮は日曜大工的なものではあり「芸術活動」といえるようなものでもない。
しかしそうはいっても、創作の一つであり、村上氏のいうクリエイターとしての生活のあり方、という描写には心惹かれるものが多かった。

後味のよい読後感。いかにも村上春樹の本って感じである。
ただ、この文庫の表紙「静かなるドン」にでてくる登場人物に見えてくるんだよな。なんなんすかね。ライティングですかね。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com

halfboileddoc.hatenablog.com

小説家の裏話的なエッセイは結構読んでいるけど、意外にこのBlogにはアップしていないみたいですね。
スティーブン・キングのこの小説を書くことに対するエッセイは、読み物としても迫力あり。山崎豊子女史の本もおもしろかった。

あとは、司馬遼太郎とかか。

『田舎はいやらしい』

「それってあなたの感想ですよね(笑)」大賞!

タイトルですべてを言い表しているのだが、東京でも仕事してた知的職業階層の人。
田舎に引っ込んで、過疎地域の人々のありようをつらつらと観察して(というか、おそらくいろいろなことがあって傷ついた)表題の結論に至ったという本。

めっちゃ理路整然と「田舎」のダメなところを説明している。

過疎地域での暮らしは私にたくさんの違和感を与えてくれた。それは貧困地域や発展途上国地域のような社会であり、イレギュラーが苦手な社会であり、過疎地クオリティーな社会であり、スローモーな社会であり、イメージされた社会であり、スタートが遅れる社会であり、変化を嫌う社会であり、清く正しく美しい社会であり、もやもやした社会であり、情感に価値を置く社会であり、ぐるぐると空回りした社会であり、ブラック企業が標準の社会(後略)

印象に残る部分が多すぎてKindleでハイライトつけたところが、他の本の3倍くらいの量になってしまった。

過疎地域の保守性と閉鎖性。
・文化的な生活ができない。TVの情報に頼る。
・他者の話が好き(ある種の監視社会になる)
・過疎地域の人たちは自分自身の間違いに対してとても寛容
・過疎地域には競争原理が働いていない
・向上心がない。現状維持が一番
・業務スキルが劣る上司は、同じく業務スキルが劣る部下を好む
・過疎地域では論理的に語るのが苦手。言語化ができない
・過疎地域の人々は相手の立場になって考えるのがとても苦手だった
・自分が知っていることは他の人も当たり前のように知っていると考えている
・教養のないものほど、ルールを決めたがる傾向にあった(自由裁量の思考力がないから)
・情感の価値基準が大きい(絆とか和とか)。情感=そして博愛
・情感は公平や平等を上回る
・過疎地域で生きていくために重要なのは、目上の者の都合に従うといった従順さ

相互行為システムと組織システムという二つの社会のあり方。相互行為システムは、前時代的なコミュニティのシステム。過疎地域ではこれが色濃く残っている。相互行為システムは戦術にすぐれるが、戦略眼のないため、大きな変化に対応できない。

平易な言葉で、しかしまあまあ歯に衣着せない発言。小気味良いけど、あなた過疎地域で暮らしたりフィールドワークしているんでしょ大丈夫?と言いたくなる。

「結局のところ第一次産業は貧困国の産業、第二次産業発展途上国の産業」
「社会には物事を停滞させることで既得権益を守る方法がある。そしてそれがある一定の説得力を持っている」

どきっとするような鋭さが本のあちこちに漂う。

で、過疎地域の人は好んで過疎地域に住んでいるのであり、緩やかにその地域が滅びてゆくのも、従容と受け止めている。
だったら、それでいいんじゃないの?という結論。

そういう田舎の人に対する自分の気持ちを振り返って、不器用さ・包容力のなさ、偏狭さが自分にもあるということを発見し、田舎のいやらしさに対して親しみを覚えた。という結び。

うーん。まあいいけど。
都会と田舎両方で暮らしたことがある人にとっては、すごく共感できる内容ではあるし、とても理路整然としていて切れ味鋭く、溜飲がさがるテキストだと思うが、唯一、ポジティブな解決法がないことだけが、後味のよい読後感にはならないなあ。こんなに聡明な人がいろいろ苦労しても、だめなんだ……って思っちゃう。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com

いろいろ苦労した過程を文章化しているという点で、中村淳彦氏の文章に、この花房さんの文章はとても似ている。ルサンチマンの文章内の濃度も、同程度。

halfboileddoc.hatenablog.com

以前にこの本を読んでいた時の問題点と、ほぼ重なるように思われた。沖縄はまた、本土とは異なる文化圏であるというのと、過疎地域特有の行動様式とが重なっており、問題解決はさらに難しいのだろうと思われる。

halfboileddoc.hatenablog.com

は同様に、山村地域でのいろいろな取り組みを紹介している本だが、こちらは、どちらかというと上手くいっている事例を活き活きと描写している。しかしまあ『田舎はいやらしい』的な地域の問題も、そこにはあるんだろうなあとは思う。

田舎問題は、難しいよ。

『モテと非モテの境界線』

以前に二村ヒトシさんの本は読んだ。
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やおい穴」なるほどねーと思ってはいました。

今回の本は、女社長川崎貴子さんと二村ヒトシさんの対談。

普通の男性にとっての「ちょうどいいモテ方」というのも、一緒に生きて一緒に幸せになれるようなパートナーと出会える程度のモテ方。だけどそういう「普通のモテ方」ができない男性が増えていると。
少子高齢化絶賛進行中の現在、恋愛を行い、婚活を行うのは、なかなか難しいことなんだけれど、その難しさと個別の解法がないかと模索する、男性向けの恋愛相談本です。

後半は、ケーススタディーで何人か独身男子とお二人との鼎談になっている。この独身男子たちが、絶妙に地続きな感じ。
結婚できなさがあぶり出されると同時に、共感できるような部分もとてもたくさんある。
なんつーか「あー今の社会で結婚するのはなかなか大変だよな」と思わされた。

ロマンティック恋愛おじさん(林伸次のエッセイより)…グサグサッ!イタタタッ。

以下備忘録

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『女系図でみる驚きの日本史』

ちょっと前から橋本治の『双調平家物語』を読んでいる。
文庫でもKindleでもいいのかもしれないが、単行本の装丁があまりにも美しかった記憶があるので、古本で単行本を買っている。
ただ、今5巻まで怒涛の勢いで読んだのだが、「保元・平治の乱」になる前に、力尽きてしまった。
なにしろ、『双調平家物語』は異常。平家物語いうてるのに、一巻は古代中国の則天武后の話で、2巻以降は蘇我入鹿から始まって平安時代まで古代日本の権力構造の成立までのプロセスが延々と語られる。平家物語いうてるのに、平家までなかなか辿り着かない。

「うなぎ懐石」セットを注文して、最後の「鰻重」が出てくる前にお腹いっぱいになってしまったような感じである。

そんな橋本治が、『双調平家物語』書いた際に調べたことをちょろっとまとめて書いたのが、
halfboileddoc.hatenablog.com

今回の本は、それとは関係ないけど、バックグラウンドはこのあたり。
著者は早稲田文学部を出た人。女系の系図を作るのが趣味という、まあはっきりいってしまうと、ある種の変態。というと語弊があるが、婚姻によって形成されていた日本の歴史にもうちょっと自覚的になれよ、という話。

  • 系図を描いてみると、蘇我氏も平家も滅びてなどいずに、しっかり政権の中枢におさまって繁栄している。
  • 子供は(もちろん父親の家柄は必要条件ではあるが)「母の家柄」によって厳然と区別・差別される(「外腹」「劣り腹」なんていう言葉もあった)

男は妻がらなり(男は妻の家柄しだいだ)。いとやむごとなきあたり(非常に高貴な家)に婿として参るのが良いようだ

  • 紫式部は『尊卑分脈』に「御堂関白道長妾」と記されているのは有名な話
  • 院政時代に「男色系図」 院政時期に男色が盛んになった(天皇の母方が力を持つ外戚政治から、天皇の父(院)が力を持つ院政にスライドしても、性の力で政治を操る発想が生きていたからではないか
  • 貴族は近親姦だらけ
  • 江戸時代では外戚ができないような仕組みづくりになっていた

など、日本史の研究者的には当たり前なのかもしれないけれど、一般にはあまり知られないことを、切り取って描くのは、とても面白い。