半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『田舎はいやらしい』

「それってあなたの感想ですよね(笑)」大賞!

タイトルですべてを言い表しているのだが、東京でも仕事してた知的職業階層の人。
田舎に引っ込んで、過疎地域の人々のありようをつらつらと観察して(というか、おそらくいろいろなことがあって傷ついた)表題の結論に至ったという本。

めっちゃ理路整然と「田舎」のダメなところを説明している。

過疎地域での暮らしは私にたくさんの違和感を与えてくれた。それは貧困地域や発展途上国地域のような社会であり、イレギュラーが苦手な社会であり、過疎地クオリティーな社会であり、スローモーな社会であり、イメージされた社会であり、スタートが遅れる社会であり、変化を嫌う社会であり、清く正しく美しい社会であり、もやもやした社会であり、情感に価値を置く社会であり、ぐるぐると空回りした社会であり、ブラック企業が標準の社会(後略)

印象に残る部分が多すぎてKindleでハイライトつけたところが、他の本の3倍くらいの量になってしまった。

過疎地域の保守性と閉鎖性。
・文化的な生活ができない。TVの情報に頼る。
・他者の話が好き(ある種の監視社会になる)
・過疎地域の人たちは自分自身の間違いに対してとても寛容
・過疎地域には競争原理が働いていない
・向上心がない。現状維持が一番
・業務スキルが劣る上司は、同じく業務スキルが劣る部下を好む
・過疎地域では論理的に語るのが苦手。言語化ができない
・過疎地域の人々は相手の立場になって考えるのがとても苦手だった
・自分が知っていることは他の人も当たり前のように知っていると考えている
・教養のないものほど、ルールを決めたがる傾向にあった(自由裁量の思考力がないから)
・情感の価値基準が大きい(絆とか和とか)。情感=そして博愛
・情感は公平や平等を上回る
・過疎地域で生きていくために重要なのは、目上の者の都合に従うといった従順さ

相互行為システムと組織システムという二つの社会のあり方。相互行為システムは、前時代的なコミュニティのシステム。過疎地域ではこれが色濃く残っている。相互行為システムは戦術にすぐれるが、戦略眼のないため、大きな変化に対応できない。

平易な言葉で、しかしまあまあ歯に衣着せない発言。小気味良いけど、あなた過疎地域で暮らしたりフィールドワークしているんでしょ大丈夫?と言いたくなる。

「結局のところ第一次産業は貧困国の産業、第二次産業発展途上国の産業」
「社会には物事を停滞させることで既得権益を守る方法がある。そしてそれがある一定の説得力を持っている」

どきっとするような鋭さが本のあちこちに漂う。

で、過疎地域の人は好んで過疎地域に住んでいるのであり、緩やかにその地域が滅びてゆくのも、従容と受け止めている。
だったら、それでいいんじゃないの?という結論。

そういう田舎の人に対する自分の気持ちを振り返って、不器用さ・包容力のなさ、偏狭さが自分にもあるということを発見し、田舎のいやらしさに対して親しみを覚えた。という結び。

うーん。まあいいけど。
都会と田舎両方で暮らしたことがある人にとっては、すごく共感できる内容ではあるし、とても理路整然としていて切れ味鋭く、溜飲がさがるテキストだと思うが、唯一、ポジティブな解決法がないことだけが、後味のよい読後感にはならないなあ。こんなに聡明な人がいろいろ苦労しても、だめなんだ……って思っちゃう。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com

いろいろ苦労した過程を文章化しているという点で、中村淳彦氏の文章に、この花房さんの文章はとても似ている。ルサンチマンの文章内の濃度も、同程度。

halfboileddoc.hatenablog.com

以前にこの本を読んでいた時の問題点と、ほぼ重なるように思われた。沖縄はまた、本土とは異なる文化圏であるというのと、過疎地域特有の行動様式とが重なっており、問題解決はさらに難しいのだろうと思われる。

halfboileddoc.hatenablog.com

は同様に、山村地域でのいろいろな取り組みを紹介している本だが、こちらは、どちらかというと上手くいっている事例を活き活きと描写している。しかしまあ『田舎はいやらしい』的な地域の問題も、そこにはあるんだろうなあとは思う。

田舎問題は、難しいよ。