半熟三昧(Half-boiled doctorのアウトプット Blog)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

鴻上尚文『不死身の特攻兵』

Kindle版はこちら

なんかのWeb記事でみかけたので買ってみた。

鴻上氏は、SPAで書いていた読みやすいエッセイ(ドン・キホーテのピアスね)のころ愛読していた。
いつのまにか、演劇界の泰斗となり、山本七平の衣鉢も継いだのか「空気」=同調圧力に対する一連の著作、クールジャパンのキュレーターなど、一言では語れない様々な要素を持つ文化人となっている。

氏の文章は読みやすいし、現場叩き上げの人に特有の寛容さと融通無碍な感じは権威主義的ではなく、市井の一私人の感覚を再確認させてくれる書き手の一人だ。*1

特攻のバカバカしさというのは過去幾度も語られているのだが、これは陸軍の特攻隊(特攻、つまり特別攻撃には海軍と陸軍があるのだ)で初期に編成された特攻部隊の話。

特攻隊の初期は練度の高いパイロットが多かったわけだが、合理性にすぐれた彼らは敵に対して戦果があがりやすい選択肢をとろうとするわけで、当然セレモニカルな意味しかない特攻に合理性を見いだせない。
ある種「結果出せばいいだろ」的なスペシャリスト精神のふてぶてしさで、特攻として出撃しながら、より効果の高い攻撃を目指し、結果として特攻として9度出撃しつつ、犬死にをよしとしなかった佐々木友次という若干20歳のパイロットのエピソード。

今の日本だって、同調圧力に逆らって生きるのは難しいこと。当時の日本は言わずもがな。

特攻をしていった若者の純真な気持ちは、今でも称賛に値すると思う。が、特攻を命令した側と命令された側を一緒くたにして考えてはいけない。特攻を命じた側の行動は、どうしたって擁護できるものはない。
日本軍の参謀・司令官は「君たちを無駄に死なせたりはしない。我々も必ず後を追う」と言いながら、逃亡し、戦後も悠々と生きている。反省もなく。

私は今どちらかというと特攻を命令した側に近いのだから、こういうリーダーでないように、肝に銘じなければいけない。

*1:もし、この人が晩年、パワハラみたいな言辞を振りかざす権威主義的な老人になっていたりしたら、多分ちょっとショックだろうな。内田樹の言辞が色褪せるように、やはり人も文章も老化してしまうのだろうか。

池井戸潤『下町ロケット』

下町ロケット ゴースト

下町ロケット ゴースト

Kindle版はこちら。
下町ロケット ゴースト

下町ロケット ゴースト

個人的な経験でいうと、一作目は小説が先行だった。そのあとTVドラマが出て、観た。制作費もかかった豪華キャストのドラマで、楽しんで観たような記憶がある。吉川晃司みたいな間をとる無口な上司の威圧感たるや半端ないなあとは思いましたが。
「存在そのものがパワハラ」みたいなね。
財前さん(劇中の吉川晃司の役名)は結構いい人だけどね。

今回は3作目。バルブ製作会社の佃製作所。ロケットエンジンバルブの受注先である帝国重工のロケット開発事業が業績悪化のためプロジェクト打ち切りとなるため、新規のマーケット開発が急務となる。そこで、関連事業ともいえるトランスミッション分野へ参入することを決める。
そこで出くわすのが佃製作所よりもさらに新興のファブレスカンパニーのギアゴースト……

今回はギアゴーストの人たちと、そこでの開発模様が舞台となった。
特許裁判や資本提携、元請け下請けの関係性など、いわゆる経済小説として飽きさせず話は進むわけだが……



読了して、気づく。
佃製作所!
なんかいろいろあったし面白かったけど、今回の話を通じて、会社に何の進展もなかったよ!
大丈夫?

『怒り』吉田修一

外勤先の職場の子が「今読んでいます」みたいな感じで教えてくれたので読んでみた。映画になったやつよね、なんか不愉快な筋のやつよね?くらいの認識しかありませんでしたが。

理不尽な通り魔殺人を犯し、消えた犯人。その足取りは不明であるが、3つの場面で、ささやかな生活を営む人達のもとに、ふらりとあらわれる三人の男。犯人は誰なのか――

みたいな感じでしたが、導入部分で、刑事、三つの場面の登場人物が登場し、並列して話が進んでいくので、やや序盤は攻めあぐねた。中盤から後半にかけては怒涛の展開。

感動?というのとも違うが、心に迫るものもありつつ、後味の悪さ、みたいなものも感じつつ。

俺、この世界には住みたくないな。

三浦大知のこと

三浦大知が紅白にでていた。
というか、2−3年前から音楽活動も再びトップシーンに浮上していたわけだが、ようやく紅白にでるレベルのポピュラリティになったことが、懐かしくも嬉しくもあった。

おじさんの私は何を隠そうFolder時代からの三浦大知が結構好きだった。
 形態としては、キッズグループの、最年少の男の子のセンターボーカル。ジャクソン5で言えば、マイケルの立ち位置そのもの。ジャクソン・ファイブ好きとしては、当然そりゃ好きになるでしょ。
 しかしその重責に違わぬ、ダンスと歌唱力は、ただならぬ将来性を感じたものだが、同時に(今でもそうだが)少し眠たげなまぶたと、日野日出志感も醸し出す見るものを少し不安にさせる個性的なルックスは少し課題だよなと思ったりもした。

 しかし、変声期にFolderを外れ、ガールズユニットとしてFolder 5は残るが、満島ひかりを残した以外は大きな意義もなく活動を終え、三浦大知は一時シーンから外れる。その後じわじわと知名度をあげつつシーン再登場し、今に至る。グループ脱退とソロの再登場は、マイケル・ジャクソンの足跡とある種共通点もあるが、まあ何しろすごい人だなと思います。
 私は R&Bやヒップホップは自分でやらないので、そんなには聴かない。音楽としてはあまり馴染みはないのですが、まあしかし幼少期からの、圧倒的な光の中にいても少しだけ闇を感じさせるルックスを引きずりながら、どこまでスターダムに上っていくのか。そしてもしスターダムに上っていった時に、マイケルのネバーランドみたいな変な方向にいってしまやしないか。
めったにカラオケとかでも歌いませんが、Glory Gloryすきでした。


Folder-Glory Glory

百田尚樹『カエルの楽園』

カエルの楽園 (新潮文庫)

カエルの楽園 (新潮文庫)

ちょっと前に流行ったやつを買ってみて読んでみた。
私はジョージ・オーウェルは『1984』よりは『動物農場』が好きな人間なので、あの作品らしきディストピア小説でした。読後感は似た感じのイヤーなもので、まあよくできていると思った。

一面的な書かれ方かなあとも思いつつ、ネトウヨであったり左翼リベラルであったり、そういうカテゴライズされた人たちに、どのように届くのかなあと興味深くもあった。
文庫版・単行本含めて、はてな界隈の論評は、例えば村上春樹の本とくらべても驚くほど少ない。はてな民のクラスターではないのだな。

中国・韓国が、ここで書かれているような邪悪な集団であるかどうかは論評しないが、彼らにすれば、経済的に困窮していたり格差社会の中での社会騒乱を解決するために、豊かな日本を狙う、というのは、たとえ彼らが邪悪でなくたって、ありうるとは思う。

ウォー・ギルト・インフォメーション(WGIP)は、まあ我々はもっと知っておいたほうがいいと思うので「三戒」は、確かに絵空事ではない。

珍説愚説辞典

あれまあ、気がつくと3ヶ月くらい経っていました。いやほんと10月から仕事面で怒涛の展開で…またどこかでまとめて書くことができればいいのですが、今はちょっと生生しすぎます。

珍説愚説辞典

珍説愚説辞典

これは、多分2年前くらいに買った本。タイトルだけでジャケ買い
かなり分厚い本です。本棚においたらこんな感じです。あえて真面目な棚に置いてはみました。その手前にある世界毒舌大辞典、っていうのもどうかとは思うけど。

珍説愚説辞典は、古今東西の変な考え方(=珍説・愚説ですね)を網羅的に集めて、ラベリングをし、分類したものです。以上。

紙の値段が高額であった時代に発せられた珍説・愚説はある種の価値があるのではないかなあと思う反面、昔だろうが珍説愚説はくだらなくて、時間のムダではある。この私のBlogもそうだが、無名の人間が大量の文章を垂れ流す現在では、1日でこの本にある量の数倍の珍説・愚説がネット上では吐き出され続けている。単位時間あたりに生成されるテキストの中で、意義あるものの比率は、紙書籍の時代は意義あるテキストの比率は相応に高かっただろうが、今ではむしろ逓減して、ゼロに近づいていると思う。現代は珍説愚説も味わうことなくそのまま廃棄され忘れ去られてしまう時代である。

 しかし、それはさておき、網羅的な閲覧や検索の利便性から言うと、紙の書籍であるより、電子書籍の方がいいのではないか、とも思う。ラベリングの恣意性を考えると、検索には全く向いていない。そういうのも含めて全く無意味な一冊ではある。大学生の時分であれば「おれ本棚に変な本持ってるんだぜ」的に宅飲みの際に見せびらかす為に飾っておく、くらいの意味しかない。

ボクたちはみんな大人になれなかった 燃え殻

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

なんかWebで人気だそうでなんとなく購入(Kindle版)
主人公はいわゆる成功した業界人。仕事も順調、人間関係も、そしていい女も蛇口をひねるように手に入る生活を送っている。Wanna beの女子と寝て「そうなの君もがんばんなよ」みたいな余裕な生活。

だけど、自分が何者でもなかった時代、かっこ悪い青春時代。
自分を守ることで精一杯だった。そのぶん近くにいる人を守っている余裕なんてなかった。そんななかお互いに社会の中であがき、傷つけあった異性の話。別に主人公が一方的に悪いわけではないが、自分だけが夢にたどり着いたせいで、後ろめたさを感じているんだけど、たまたまFacebookで、その元カノを見つけて、そしてなんとなく友達申請してしまったところから回想の1日がはじまる。

んー。なんつーか。Facebookめ。
これは作中主人公の感想(マーク・ザッカーバーグめ…的な言辞)と同じではあるのだが。

筆致は、あちこちに印象的な言い回しが光る、クリスプで、オシャレクソ野郎的な文体。
糸井重里のエッセイの文体に近い匂いを感じられた。
構造の堅牢さよりは瞬間最大風速性の高い文章。

「賢治はずっと東北の田舎町で人生の大半を過ごしたのに 、銀河まで旅したんだよ 」車窓から差し込んでくる朝の光に目を細めた彼女が 、カ ーテンを半分閉めながら言う 。 「きっと 、妹を一緒に連れて行ってあげたかったんじゃないかな 」そしてボクの目を見てこう続けた 。 「どこに行くかじゃなくて 、誰と行くかなんだよ 」

マ ーク ・ザッカ ーバ ーグがボクたちに提示したのは 「あの人は今 」だ 。

「でも人生に真面目に取り組んだら犯罪くらい犯しちゃうと思うの 。運転する人はゴ ールドカ ードじゃないし 、車にキズがあるのと一緒で

そういうのも含めて、いろいろ痛い。だがそれは自分の痛さでもある。
そりゃみんな悶絶するわ。

昔なら、下積み芸人を支える糟糠の妻、という話になったのではないかと思う。あえて、こういう希薄な関わりにしたせいで、圧倒的な普遍性を獲得したのかなあと思った。私の人生はこれとは全然違うが、やはり未熟ゆえに相手を気遣う余裕のなかった過去の恋愛を思い出し、過去の罪に対して心の中で懺悔をした。

っていうか、そうか。俺も主人公と同じ43歳になったんだった。うわっ、痛〜。