半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

押井守の映画がたり二本『誰も語らなかったジブリを語ろう』『押井守の映画50年50本』

どちらも面白かった。

押井守監督の、ジブリ作品を対談で酷評(笑)したものと、
世界のいろんな映画を発表年ごとに一つ取り上げたもの。

『誰も語らなかったジブリを語ろう』

ジブリはメディアと強力に結びついているのもあって、基本的には批判されにくい。スキャンダルらしいスキャンダルもない。
しかし、業界通からいわすと、鈴木敏夫高畑勲宮崎駿の関係性と個人の確執というのは有名な話であって、「作家性」というのを尊重した挙句に、ジブリは、ピクサー社とかそういうプロダクションとはちょっと違った感じになってしまった。

早い話が、宮崎駿高畑勲も、お互いに得意不得意な領域があるわりに、主張が強すぎる人間だから、協力できない。
もしこの二人が、自らの作家性とか抜きにしてエンターテイメントに徹していたらもっと別のプロダクションのあり方になっていたとは思うけれども、その辺は難しいことなんだと思う。この関係性が崩壊しないようにしていたのは鈴木敏夫のなせる技なのだろうとは思うけど、結局今のジブリのありようも、鈴木敏夫の限界なんだろうと思わせる。

宮崎駿はディテールの凄さ、しかしドラマツルギーとか構造がある人じゃない。映画としての構造は支離滅裂。
高畑さんはその逆。演出家としては最高峰、しかし自分が生きてきた自己史のようなものを持たないしそこに立脚してものを考えようと思わない「クソインテリ」。

  • 少数のプロと大多数のアマチュアが成立する世界には往々にして「インナーサークル」が発生する
  • 表現力の卓越さはともかく、映画作品としてはツッコミ放題のトンデモ映画と呼ぶしかないものがほとんど
  • 彼(鈴木敏夫)の生涯のテーマの一つが”大衆動員"
  • トシちゃん(鈴木敏夫)と宮さん、そして高畑さんの3人は恫喝を得意としていて3人による恐怖政治が始まったのがここから
  • 鈴木敏夫の名言「テーマのない人間が、テーマのある人間に使われるのは当たり前だ」
  • 宮さんによる自分の定義はエスコートヒーロー、大切な女の子を守るモンスター

押井守の映画50年50本

1968年から2017年まで、各年からその年に公開された映画を一本ずつ取り上げて、押井監督がなんかいう評論本。
「映画を見ること」と「見た映画について語ること」
まあ、熟達した監督職人的な方が見る映画の見方というのは、やはり参考になる、というか面白いものです。
ただ、ここ最近は映画なんて、目と耳を丸々2時間完全に拘束するメディアに易々とアクセスできない。
(ファスト消費、僕はしないけど、気持ちはすごくわかる)
から、50本もみたい映画が増えてしまってもなー。という感じだ。

いや、面白いし、勉強にもなりました。
しかしこうやっていろいろ語っている押井守監督のことが気になったから、
天使のたまご」を見てみたけどまあ、これは「……」。その当時も売れなかったし、今の自分が楽しめるものでもなかった。
フリージャズのどうでもいいLPかけたような感じだった。

イノセンス攻殻機動隊は家にあるし見たことあるしでいいんだけど、やっぱスカイ・クロラビューティフル・ドリーマーみないとだめか…
それにしてもジブリを語る本の表紙は、最近動画で流れ込んでくるゲイのコーデ紹介するおじさんっぽくて。
www.youtube.com