フルーツ宅配便が、気がついたら完結していた。
あ、ドラマとかにもなってんだね。
以前にホリエモンも取り上げていたことがある。
ホリエモンこと堀江貴文さんは、池田邦彦『カレチ』も以前取り上げていたこともあるし、漫画とか物語については、結構人情派だったりする*1
フルーツ宅配便は、郊外型のデリヘルを舞台にした作品。
そういう意味では「貧困女子」とかに近い社会背景の作品なんだけど、14巻までずーっとみていて、オーラルセックスや性交に至る前段階を含んだエロシーンの直接描写が一切ない。なんなら裸もほとんどない。
あくまでそういう風俗行為の前後の心情の揺れに特化したストーリーテリング。
ドラマチックな感じでもなく、まるでサイレント映画のように静的な描画が淡々と続く。
なんなら、その淡々とした感じで最終回まで進んでしまった。
まあ、その起伏のなさこそが、舞台としている「スプロール」(郊外の無秩序に広がるのんべんだらりとした市街)の風景と奇妙に類似点があるように思う。
* * *
私は男なので、デリヘルを利用する男性の女性に思慕する心情はよくわかるし、中年男性の孤独にも大いに共感する。
一方、風俗産業にてカネを稼がざるを得ない女性の心理や社会背景、男性の言動に翻弄されたり二重生活との葛藤などの、女性の側から語られる物語も、それはそれで共感もするし、涙する。
現代のコミュニケーションや男女関係というものを考える上で、こうしたデリヘル文化みたいなものは後世から振り返るといろんな意味を付与されるのだろうと思うが、我々の時代的なアイコンがこれなのか?とか思うと、そりゃあ僕らも砂を噛むような人生だよな、とは思った。
スガシカオの「コノユビトマレ」の歌詞に、
知らない人ばかりで
街ができてるとしたら
この世界は
とてつもなくでかい
孤独のカタマリだ
というのがあったけど、そんな感じな気持ちになってしまう。
しかし、お涙頂戴、人情物という感じでもなく、まるで我々が蟻の巣を俯瞰しているかのように、極めて第三者的に淡々と物語は描写されるのが、この本の独特な読み味であると言えるだろう。
参考
halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com