半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

村上春樹『街とその不確かな壁』

かつて村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は好きな小説で、何度も読み返した。

「世界の終わり」には習作ともいうべき「街」という短編があったらしいのだが、それを大々的にリライトした作品、ということらしい。
なんじゃそりゃ、と思ったが、読んでみると、確かに、その通りだった。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とは別の世界線で、同じような「世界の果てにある街」みたいなものが描かれる。

* * *

「街」パートは、割と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と同じようなプロッティングで進む。
そう、ほぼほぼ同じように、影と切り離された私は、街に馴染みつつ、影の言葉に同調して、二人で街を逃げ出すが、最後の最後で、主人公は街に残ることを決断する。影だけが街を脱出する。

さすがに、それだけでは新たなものを描く意味がない。
この小説は、ここまでが第一部。
第二部は、多分自分の半身を「街」におきざりにした主人公のその後の(おそらく「影」の)人生が描かれる。
奇妙な縁で、地方の図書館の館長という職を得、そこでいろいろ不思議なことが起こる。

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読み味は、いつもの村上春樹節だった。
特に『騎士団長殺し』とか『海辺のカフカ』に似ているようにも思われた。

村上春樹の長編は、基本的に同一の構造をいろんなパターンを用いて繰り返し書いている。
死者の声。去っていった人間の存在は、一切地上から消えてしまうのではなく、その残留思念のようなものが世界には漂っている。
もちろん、わかりやすい「幽霊」というのではなく、非常にささやかな、そう我々のリアルな世界が、実数だとすると虚数のような世界。
その虚数空間をできるだけ丁寧に描こうとしているのが、村上春樹の作風。
長編に関してはいえば、一貫してこの主題だけ。


こうして読んでみると、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、二つの世界を交互に描いていた面白さがあったが、70歳になった村上春樹の今作は、この主題に特化して掘り下げているために、方向性が一貫していて、ひどく読みやすい。

ただ、村上春樹の主題に共感できない人は、読みやすいけど、面白みのない小説だなあと思うかもしれない。
ただ、村上春樹とともに読者の我々も歳をとってゆく。
若い人にとっては当たり前ではなかったことが、年寄りには当たり前であったりするのだ。

私も学生の時に、村上春樹の世界を、よくわからないが、不思議な読み味だな、くらいに思っていたのだが、
医者になり、結婚し自分の子をもち、自分の親も老い、また仕事柄、死に濃厚に立ち会う経験をすると、
村上春樹の主題なんて、不思議でもなんでもないと思えることもある。

レビー小体型認知症(DLB)なんて、昔の知り合いとかの幻覚を見るらしいのだけれど、そういうこともあると思うし、
むしろ昔の知り合いみたいなものが出てきてくれた方が退屈しなくていいんじゃないかと思う。

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村上春樹は、目まぐるしい展開で「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を描いたけれど、70代になって、そういう喧騒を避けて、静謐なこの主題に真っ向から取り組み、この小説になった。それは、ある種の進化であり、ある種の老化なのであろうと思う。

手を変え品を変えて、主題を繰り返して、進化してゆく。
ひょっとして進化の果てに、ポピュラリティを失うのかも、という意味では「エヴァンゲリオン」シリーズに似ているかも、と思った。
(この前、シン・エヴァンゲリオンを遅ればせながら見たんですが、びっくりした。30年間はなんだったんだ)