半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『性のタブーのない日本』橋本治

上古の話を振り返り、日本の性のタブーとは何かということを、語る本。
橋本治氏の本。

ついこの前亡くなられてしまった、橋本治*1
デビュー時は『桃尻娘』シリーズという80年代らしい軽い小説の印象しかなかった。文体から「軽い作家」「80年代的文化人」だと勝手に思っていたが、現代語訳化した枕草子から、気がつくと『窯変源氏物語』『双調平家物語』とかの重厚な作品(厳密にいえば現代語訳)など非常に多彩な作風の文筆家となっていた。
それだけじゃなくて、もともとはイラストレーターだったり、編み物作家だったりもするんだって。
まあ、多才な人だ。

もとをたどれば、橋本治氏、東大の文学部卒なんで、古代文学に造詣が深いのも当然といえば当然。
80年代のふざけた作風は、単に「インテリが賢ぶらずにアホっぽく振る舞う時代」に適応していただけ、ということなんだろう。
思春期にその形で刷り込まれると一生そういうイメージを残すよな…と思う。

この本はそんな橋本治が、おそらくあまり肩肘はらずに、テーマにそって自分の知識を寄せ集めてささっと書いた感じの本。
一流のジャズピアニストが「いつものレパートリーをリラックスして弾いてみました、あ、7月なので7月にちなんだ曲をいくつかピックアップしましたよ」みたいな感じ。要するにインサイドワークはほとんどしていない様子。
それゆえの軽やかさもあるし、それゆえの軽さもある。

古代の日本には「Fuck」に該当する言葉はなかった。会う、見る、という言葉で置き換えられる。
平安時代には、女性に貞操観念はなかったし、強姦罪もなかった。と、そういう話である。
 会うことはなんとなくやることを内包していた。
よく遊女が「歌謡演芸をして夜は売春をしていた」みたいな書き方をされるが、そこにはほとんど境界というものはなかったらしい。
「なんとなくやっちゃう」という世の中だった……そうな。
ほんまかいな。
昔には性のタブーはない(しいていうと「モラル」に相当するような程度)という結論。
武士の時代になると女性が「財産化」するので、この時から貞淑さが要求されるようになったらしい。

そのほか、藤原道長の息子頼通(院政が始めるきっかけを作った張本人)のパーソナリティに対する掘り下げ、江戸時代になって、平安時代の恋愛の作法が遊郭にて再び取り上げられる話など、「ふーん」とうなる話が多かった。

 しかし橋本治という方はとても賢い方なんだけれど、いわゆるアカデミアにあるような「堅牢な証明」というものをしない(この辺りは、岸田秀梅原猛もそう)思ったことを書き散らして、それで終わりという感じがある。
学術論文のレベルでの実証や論理構成はせずに、ぱぱっと一般向けに本を書いて、終わり。
 この本も、ちょっとそういう感じがする。

 多分、そういう作業が苦手だったんだろうし、要請に従って大量の作品を書く方が性に合っていたんだろうが、本人も物故してしまわれた現在、その軽さって、時の侵食に耐えないのである。だから後世に残りうる作品は本人の全体の文筆活動の割に多くはないのは残念である。
 でもとにかく古代の作品を大量に読んでいる人だし、勘のいい人だから、真相に極めて近い感じはする。
そういうちょいちょいしたヒントが、こういう軽く書いた本のあちこちにキラリキラリと光っている。
後代の誰かがしっかりとした検証をすれば、いいのかもしれない。

 僕だって、こんな便所紙のようなブログを書かずに、きちんと学術論文を書いていれば、医学になんらかの小さな貢献を残せたのかもしれない。橋本治のこと、どうこういう資格なんてないな。

 こんなことを書いていると、亡くなった橋本治という「あがめたてまつる存在ではないけど、紛れもなく知の巨人」について読み直してみたくなった。

halfboileddoc.hatenablog.com
以前に読んだ本の感想でも、やっぱり橋本治氏ののてのてした文体に思うところあったみたい。

*1:つい最近だと思ったが2019年だった