- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/03/07
- メディア: 文庫
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橋本治の本は、いいこと書いているんだけどタイトルの付け方が粗雑なせいでPVが伸びないブログのようである。
ものすごく鋭いことをポロリと指摘するのに、ものすごくまわりくどい文章なのはなぜだろう。
この人はロジックによって議論を組み立てるタイプの人ではなく、直感でコアとなるセンテンスをいくつか決めて、それをもとに多少なりと論旨めいた文章に組み立てるタイプだ。ひらめきタイプなのだ。天才肌だと思うが、そういう人の文章は、一本筋の通った論理には絶対にならない。議論として一本の筋を通すためには、枝葉を刈り込まなければならないが、こういう人は言いたいことを納得させるために当たり前の言葉を積み重ねていく、という発想がない。したがって、バカにでも話ができないのである。中井久夫と同じで、どちらかというとシゾフレニックな傾向がある。
この本がどうか、という話ではなく、橋本治がどうか、という話になってしまった。話は80年代、90年代、ゼロ年代の俯瞰と総括といった類のもの。といっても、上記のように、俯瞰して語る、というロジカルなものではないく、読み味としては、なんというか、福翁自伝に近いものがある。
いろいろはっとするところが色々あるのだが、ところどころ抜き書き
自分の生活から会社と家庭をとってしまったら、なにもない―そう思うと「自分がない」と言われる。だとしたら、「自分」というものは、自分の生活から会社と家庭を抜いた「余り」の中にしか存在しないものなのである。つまりは「義務を果たしたら、後は好きなことをしてもいい」である。その好きなことの中に「自分」はある。つまり「自分」は「余り」の中にあるおので、「余り」の中にしかないものなのである。
(p167.「愛」のために丸を二つか三つ書いてみよう)