半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『体育会系 日本を蝕む病』サンドラ・ヘフェリン

ドイツの帰国子女(日独ハーフ、ミュンヘン出身)の書いた、ここが変だよ日本社会、的な本。
その他帰国子女の体験に根ざしたハーフのバイリンガル教育についての問題提起などの著作あり。

「体育会的思考」が日本の画一性、硬直性につながっているという主張。
ま、自分の経験に照らし合わせても、日本でグローバリズム、多様性が根づきにくいのは、日本社会特有の「同調圧力」のせいだよな、と思う。

多文化共生、という視点では日本社会のこれはよくない。

体育会的思考は、まとめるとこんな感じだ。

  • 「個」より「全体」を優先する
  • スローガンの唱和など、構成員に「思考停止」を要求する
  • 立場の弱く能力の低い人がムリめな課題に一生懸命とりくんでいる、パターンをよしとする
  • 「我慢」「忍耐」で問題解決をはかりがち。
  • 「連帯責任」
  • 「男尊女卑」と「年功序列」(このあたりは上記の「思考停止」であるための装置として作用する)

ドイツから日本にきて、異様に感じた団体規範。これを「体育会系」と言語化したサンドラ・ヘフェリン女史は鋭い。
しかし、それは「日本的ムラ社会」と言われ、昔は体育会系問わず、あまねく見られた。
立場を持たない市井の文化人(彼らは考える頭があるのに「思考停止」を強制された恨みがある)によって、戦後民主主義の名の下に誅殺されたムラ社会主義は次第に追い詰められている。
現代日本にはムラ社会は「体育会系」にのみ保存されているのかも知れぬ。
しかし、これも、21世紀に入ってアップデートを迫られ、今や絶滅の危機だ。

僕が子供の頃の感覚では、体育大学で、暴力は勿論の事、言葉による「しつけ」さえ社会に容認されない時代がくるとは思わなかったな。

ただ、医療介護現場では昔からのクソ価値観を保持した高齢者は稀ではない。
年功序列、男尊女卑。
若い女性のスタッフの言うことを聞いてくれない。ファッキン。
hanjukudoctor.hatenablog.com

* * *

日本経済が日の出の勢いの場合は「ジャパンアズナンバーワン」なんて言っちゃって、夜郎自大的な自己肯定がまかりとおるわけだけれど、
斜陽の日本が続いた時は、こういう「日本ここがいかん」的な本が取り上げられるのもよくある話。

しかし、長所と短所は紙一重。ピンチはチャンスでチャンスはピンチでもある。

「体育会系」的思考は、同調圧力を強いるという点で、自分の頭で考えさせない(思考停止)という欠点があるが、これって「どうせ大多数の人間は自由に考えさせても大した発想でてこない」というリアリズムに裏打ちされている。
バカは自由選択などさせずに従っていればよろしい、ということだよ。
昭和の組織(明治大正でも)ある程度組織力をうまく推進させることができたのは、まあそういうこと。

それに「思考停止」して作業に没頭も、一概に非難されるわけではない。
ベクトルでいうと「向き」と「量」。
「量」の部分には頭はそんなに要らない。
例えば、個人的な業務遂行でも、「頭」を使う部分もあるけど、仕事の8割は「頭」使わずに邁進する部分だったりする。それこそ「バカ」になって。
多様性を認めるヨーロッパ(筆者はドイツ)では、逆に、ヒエラルキーもなくフラットに議論していても、声のでかいやつが勝つし、物事が決まらない、なんてことはしょっちゅう。

ミヒャエル・エンデの「ミスライムのカタコンベ」を思い出すような話だ。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com
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山本七平は「空気の研究」とか「日本人とユダヤ人」みたいな日本的組織に対する経験的な憎しみを言語化して、延々とそれを書いている人。しかし、当初は偽ユダヤ人という形でしか開陳できなかったのは、戦後ではあるが、まだまだ同調圧力の強かった時代だなと思う。
それにしても、山本七平本田勝一はなぜあの時期論争しなきゃいけなかったんだろう。冷静に「同調圧力ムラ社会ニッポン」的視点で見たらお前ら二人ともアウトサイダーだろ、と思う。

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開明的な山口周氏(頭いいよね、この人)視点で、21世紀に入ってムラ社会が壊れつつある流動社会の中での生き方のヒント、的な本。
読み味はこの「体育会系」に結構近い。

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私の大好きな 映画「八甲田山」も、同調圧力と「思考停止」日本的社会の脆弱点を描いている。
そうか、だから俺この映画が好きなんだ…

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京セラの稲盛会長イズムは、「日本的なムラ社会」を現代に通用するようアップデートしたしたものだと思う。
盛和会では、経営者が贅沢することを強く戒めているが、これって、トップが「ムラ社会」の構成員から外れないためなんだよね。
そういう形で上と下の同質性を担保しないと「ムラ社会」ならではの緊密さは保持できない。
トップは村長(むらおさ)くらいに留まって「国王」になってはいけないのである。

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この辺りは、「体育会系」の前身である軍隊方式の恨み節。

鴻上尚史山本七平を受け継いで「空気」に対する論考をいくつか出している。