半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

水木しげる『総員玉砕せよ』『ニッポン幸福哀歌』

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

水木しげるのニッポン幸福哀歌(エレジー) (角川文庫)

水木しげるのニッポン幸福哀歌(エレジー) (角川文庫)

 というわけで、前回に引き続き水木しげる
 ちょっとした隙間の時間があると、その間読むための本を買うわけですが、最近は連ドラの影響で、そう大きくない書店にも水木しげるの漫画が置かれていて、大変に愉快であります。コンプリートしようとすると、これは大変でしょうけれども。

 『総員玉砕せよ』はラバウルにほど近いバイエンという管区の守備隊の戦記。丸山という初年兵が、水木しげる本人が多分に投影されたキャラとして描かれる。
 バイエン守備隊は、アメリカ軍の上陸に対し、あっさりと敗退するのであるが(物量作戦なので、無理もない)、キャリア組のひどく若い大隊長は、赴任直後から悲壮感を漂わせており、実際に敵の侵攻があった時に、その現実に耐えられず、玉砕の報を早々に出して、総員特攻させてしまう(経験豊かで現実主義者の中隊長は、裏に逃げてゲリラ戦をすれば、一ヶ月くらい戦えるのではないかと具申するのだが、キャリア組特有の狭隘な精神構造しか持たない大隊長は、理屈にもならない理屈を言い立てて退けてしまう。)
 そして、この大隊長のだした玉砕の報のために、せっかくバイエンから生き延びた敗走兵達は、そのまま犬死にさせられてしまう(恐ろしいことに、当時の日本軍では「総員玉砕」した部隊は当然全員死亡ということなので、敗走した兵が生き延びていることは許されない。その兵は生きておりながら、生きていては許されない兵、ということになる。従って再編成もされず、人知れず「処理」されてしまうわけだ)。なんか、この辺りの組織の硬直性は、小説『八甲田山死の彷徨』の、遭難の後日譚で、銃が二丁無くなった話に、読後感が似ている。

 もちろん、軍隊という組織の特殊性というのもあるだろうが、そこに見える心理的な機微、日本人が構成する組織特有の保身性というのは、現代にも通じるところが多い。軍隊という特殊性で括ってしまうには、現代に生きる我々の生活のありようにあまりにも似すぎている。

 日本人が組織を作る時には、「和を以て尊しとなす」十七条憲法の古来から今まで、我々の血にしみついたやり方でしか組織を作れない。問題は、我々は往々にして組織の構成員たる我々よりも組織そのものを優先させる傾向が非常に強い、ということである。
 自戒しなければいけない。現代の我々だって、組織に肩入れしすぎると、日本軍の一兵卒の様な目にあう可能性は、多分にあるということだ。我々は、時には我々を殺しかねないような組織で働いている、ということを覚えておく必要がある。そして、組織が個人を殺す、ということは、組織がその構成員である個人に、別の個人を殺させる、ということだ。
 そして、構成員が組織と深く関わりを持てば持ち、外部と遮断されればされるほど、そういったリスクは累乗する。

 もう一つは水木しげる版『笑うせぇるすまん』とでもいうべき短編集。短編だからか、起承転結がかなりいいかげんで、すとんと断ち切られたかのような読後感が心に残る。あと、毎回だいたいひどい目にあうサラリーマン山田のやられキャラとしての強靱さよ。

 しかし水木しげるの本がこれほど入手しやすくなり、読まれるようになると、世の中は変わるだろうか?変わらないんだろうな…