半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

山本七平『日本はなぜ敗れるのか』

 うーん、暗い気持ちに。
 小松氏という人の書いた『虜人日記』というものを叩き台に日本軍、そして日本人の集団における組織的な弱点が分析されている本なのであるが。
 たとえば司馬遼太郎氏などは、昭和初期から敗戦までの20年間はまるで日本という歴史の中の鬼子のようではないかといっている。この時期が(他の時代と)やや不連続であることを強く主張しているわけだが、そうではないとこの本を読んで感想を抱いた。敗戦前後における軍人の愚かしい行動の多くは、その前の時代にも、そして敗戦後にも日本人の間で繰り返し現れているからである。確かに、終戦直前は現象面としていささか他の時代とは様相が異なっていたものの、こうした行動パターンを起こさせる精神構造は日本人の中に通奏低音として脈々と受け継がれているのではないか、と思った。
 太平洋戦争が始まってから敗戦までの克明な記録と分析は(もっともこれは小松氏がされているわけだが)逆に今の諸相を分析するに有用なのではないかと思う。戦後の文化人の多くは戦中日本国内で空襲を受けていたわけで、フィリピン戦線での記録はあまりなく(語りたくないのかも知れない)その点でも貴重であるといえる。
 さしあたり、日本人の作る組織の閉鎖性とその中での遵法意識の低下というのは三菱自動車の件を見てもわかるとおり、戦後まったく改善されていない。ひとたび色々な条件が重なれば、我々日本人はまた、あの戦争の時と同じように後世からみれば愚行としか思えない行動をとる可能性が十分にあるのだろう。
 戦後は自由がありすぎる、などという。ご冗談を!どこに自由と、それに基づく自由思考(フリー・シンキング)とそれを多人数に行う自由な談論(フリー・トーキング)があるのか、それがないとは、一言でいえば、「日本にはまだ自由がない」ということであり、日本軍を貫いていたあの力が、未だに我々を拘束していると言うことである。
 マスコミは、僕が見ているこのわずかな期間においても、明らかに劣化しているし。

 それともう一つ。僕は中学時代に本田勝一に少しはまっていたことがある。本田側から見れば、山本はインチキ野郎であり、そういう風な先入観を抱いていたが、正直日本人とユダヤ人とか、今回の本とか見ると、そんなに亡国的な事を言っているとは思えないのであるが。両者の言う事って、そんなに違っていないと思うんだけどなぁ。とはいったって、もう山本氏は死んでいるし、本田はかつての力も失っているし、今となってはどうでもいい話なのではあるが。