半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『9で割れ‼︎』矢口高雄

釣りキチ三平」の矢口高雄
この漫画が流行った頃の私は、釣りはおろか、超インドア少年で、全く興味がわかなかった。

しかし、アウトドアや自然に興味がようやく湧いてきた昨今。
人生も折り返し地点を過ぎ、自分は世界の主人公ではないことにようやく気づくわけである。
そうやって周りを見渡すようになり、世界の美しさに、やっと気付かされた。

* * *

最近、矢口高雄氏の絵が、当時の作画水準を考えても、頭抜けてうまい、どうなっているんだ、というブログ記事があった。
togetter.com
秘密は、銀行員時代、地方支店に配属の際に下宿した素封家に所蔵されていた名画コレクションに出会ったから、らしい。
m-dojo.hatenadiary.com

そのブログ記事に、会社員時代の回顧録「9で割れ!」が取り上げられていた。
早速読んでみた。

新卒で銀行に就職した矢口氏の青春時代。
エクセルもなく、そろばんで計算。
リアルマネーしかない昭和の時代。就職した時分の、昭和まっただなかの生活描写。
懐かしい部分もあり、そこまでのディープな昭和は経験したこともない部分もあり。

印象的なのは、飲み屋の女性と懇ろになり、不正を行い銀行を去る同僚の話。
「一度不正をした人間は二度三度不正を働く」という上司の重たい言葉。
この辺りの「烙印が消えない」やり直しのできない世界は、今よりももっと厳しかったことを思い出す。
(ただし、アンダーグラウンドの世界も、今よりは広く、住み心地もよかったとは思う)

* * *

三巻〜四巻は、銀行員をやりながら、釣りなど趣味を楽しみ、妻を迎え社会人として地歩を固めていく反面、漫画との邂逅(劇画ブーム)によって漫画魂に日がつき、銀行を退職して漫画家になるまでの葛藤と奮闘が描かれる。

遅咲きの漫画家としてのハンデがあれど、結局趣味の釣りを生かして「釣りキチ三平」に結実、ヒット作家となった。
後日譚の漫画はあるんだろうか?*1

現在さまざまなジャンルを深掘りした専門分野の漫画が沢山あるが、考えてみれば、矢口高雄の「釣りキチ三平」が嚆矢かもしれない。

それまでの漫画は、その分野に関して「素人」でも描けるくらいの深度、空想と関連文献や取材で描けるレベルに留まっていた。

しかし「釣りキチ三平」は深い取材か、その分野に通暁した人生経験を通してしか書けないリアリティがありだからこそ釣りブームを牽引することができた。

ブラック・ジャックも、手塚治虫の「医師免許持ち」という経歴をふんだんに生かして生み出されたわけで。

この頃から「空想」だけでは描けない漫画が漫画シーンに出現し始め、現在の漫画の「多様性」につながる。
と考えると、矢口高雄氏の功績は、我々が思っている以上に深いのではなかろうか、と思う。

とはいえ、リアリティがあるのかないのかよくわからない「キャプテン翼」が、むしろ本場ヨーロッパを席巻し、現在のヨーロッパの名選手が、むしろキャプテン翼を愛読している、だなんて、空想が現実を席巻する、みたいなこともある。荒唐無稽な男塾もキン肉マンも、世の中には深く影響を及ぼしているし、世の中は面白いもんではある。

*1:矢口氏の中学生時代の漫画『螢雪時代』はまた紹介しようと思うが、かなり面白かった