半熟三昧(本とか音楽とか)

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『遅いインターネット』宇野常寛

遅いインターネット(NewsPicks Book)

遅いインターネット(NewsPicks Book)

宇野常寛の本は、みるたびにはっとさせられる。
halfboileddoc.hatenablog.com
きっかけはこの「ゼロ年代の想像力」だったと思う。
いわゆる「ヲタクがたり」の範疇を越えた現代批評(どちらかというと、ヲタク言説というよりは寺山修司のようなスタンスだろうか)に、久しぶりに打ちのめされたのだ。
その頃の自分は、書生くさい大学時代から社会人となり、田舎の野戦病院で研修医として「現実」に直面して奮闘していたころで、サブカルのような高等遊民的なマインドからもっとも目を背けていた時期だと思う。そんな自分にさえも、宇野の時代の論評はみずみずしく心にひびいた。

考えてみれば、物語とは現実の投影であり、現実の事象が物語に投影されうる。
すなわち、同時代性の高いコンテンツを掘り下げてゆくと、現実世界の諸相にぶちあたるのは当然であると言えよう。

この本では、物語世界を入り口に現代を語るいつもの語り口は省略され、現代批評家としての宇野の語りから出発している。

まずは、冒頭、平成の総括に深く納得してしまう。

平成とは「失敗したプロジェクト」である。平成とは政治改革と経済改革という二大プロジェクトに失敗した時代である

二大政党制、自民党が下野し、合従連衡を繰り返した挙句に、自民一局に戻り、55年体制を覆すどころか二大政党制からさえも遠ざかってしまった。それは自民党の非だけではなく、一時的に政権を獲った非自民側にも責任の一端はあるように思う。
経済に関しても、21世紀の冷戦後のグローバル時代には日本の会社組織は置いていかれている*1

アラブの春」などに代表されるITを駆使した革命は、結果的に民主政権の樹立には成功していない。インターネットやマスメディアは、既存の勢力を打倒する力はもつけれども、新しいものを打ち立てる力は持っていないというのが定説になっている。
日本でも、カリスマ的なリーダーがテレビポピュリズムを用いて戦後政治体制を打破しようとしたが、誰一人志を貫徹できなかった。テレビポピュリズムには持続可能性が低いから。SNSやメディアによる民主化は、新たな組織構築はできない。

宇野の筆致は容赦ない。

グローバル社会のもっている弱点。
Anywhereの人々、Somewhereの人々の違い。(グローバルの人とローカルの人と考えてもいい)

グローバル世界には、民主的な世界というのはうまく作用しない。Somewhere=グローバルの人たちはどこへでも移動し、どこへでも資産を移動する自由を持っているために、地域内のステークホルダーとなり得ない。
このコミュニティから出てゆく自由まで包含したレベルでは、自由と民主主義は両立しない。

トランプやブレグジットでは民主主義はあたかも「持たざる者の負の発散装置」として発現している。
逆に、今後も民主主義というものは容易にポピュリズムに陥りうるものだし、ポピュリズムは誰かに悪用される危険がある。
かといって、中国のような独裁政治を容認できない程度には、我々は欧化されすぎている。

そこで、民主主義を半分諦めることで、守る。
立憲主義を尊重し、民主主義で決定できる範囲をもっと狭くする)
生存権表現の自由、男女平等など、普遍的に守られるべき事項については超国家的な枠組みの権限を強化した方がいいのではないか。

そもそも人間はすべての選択を自己決定できる能動的な主体=市民でもなければ、すべてを運命に流されていく受動的な主体=大衆でもなく、常にその中間をさまよっている。
政治参加はデモでも選挙でもなく、その中間が必要だ。

インターネットのオープンネスは今変化しようとしている。
適度に閉じたインターネット、適度に遅いインターネットがいいのではないか。

* * *

宇野の提案はかなり魅力的ではあるが、民主主義の範囲を制限したり、インターネットの情報スピードを、意図的に遅くする(これは、回線を遅くする、というわけではなく、SNSなどによる情報の拡散やレスポンスが速すぎて、有意義な議論がなされない弊害を指している)ことが、果たして可能なのか……というところには興味がある。
全世界に意見が一瞬に到達されるオープンなSNSは、確かに議論は深まらないので、例えばクローズドにして深く論じたり、とか、そういう解決法なのだろうと思う。

地域コミュニティの意思決定であるとか、そういう部分は、おそらく宇野の提案がうまくいくのであろうと思う。反面、地方自治体や、因習的な日本企業の意思伝達と意思決定などでは、おそらくうまくいかないんだろうな、と思う。

おりしも、コロナで、いままでの生活様式の見直しが叫ばれている現状は、この本では予想はされてはいないけれど、宇野の現状把握と解決策の提案は普遍的で、一顧たるものであるはずだ。

*1:むしろグローバリズムそのものに冷や水を浴びせるコロナショックのダメージが日本ではむしろ少ないかもしれないという僥倖もあるけれども