半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

モリのアサガオ

オススメ度 90点
関西弁の生々しさがよかった度 90点

モリのアサガオ1巻

モリのアサガオ1巻

何年前だったかな?ドラマ化を先にみた。
テレ東だったし、重い話題だったので、そんなに流行らなかった気がする。
それでも普通のドラマと違って異色なテイストだったので、全体の6割くらい視聴した覚えがある(僕は基本的にはドラマは観ない)。

エンディングテーマ椿屋四重奏「マテリアル」はなかなかいい曲だと思ったが、
椿屋四重奏はそのあとすぐ解散したので流行らなかった。
一度二度カラオケで歌ったが、あまりピンとこなかった。

椿屋四重奏 - マテリアル

この度Kindleのオススメにちらりとでていたので、懐かしく思い、読んでみた。
よかった。
全7巻という中編の作品であるが、
狂言回し役の主人公にも重いテーマがあり、複数のエピソードが錯綜しストーリテリングとしてはダレ場がなかった。
完成度の高い漫画だと思う。
ただ、絵柄はやや独特で、リアリズムよりも記号的な感じだ。

* * *

主人公は、検事を父にもつ新米の刑務官。
職場では、エリートのボンボン、という受け止められ方をしている。

主人公は、喜怒哀楽や、前提とする知識もなしに入職したような描写で、死刑囚の一挙一投足で考えがブレまくる。
読者を共感させるための、狂言回し役だから仕方がないのだが、それにしてもバカすぎへん?という感想ではあった。
振り回されすぎだろう。

そんな主人公も、同い年の死刑囚や、他の凶悪犯罪死刑囚とのやりとりを目の当たりにし、死刑執行に怯え、罪の意識に苛まれる死刑囚の行動を
み、また自分の運命にも気づかされ、成長してゆく。

「死刑」という超特殊なシチュエーションでありながら、共感を持ちやすいのは、我々の人生も「死刑囚」と同じで、命を失うその日を怖れて生きているからに他ならない。
死に怯える気持ちは普遍的なもので、また、自分が過去にしでかしたことを後悔し、過去の復讐に怖れるというのも、これまた死刑囚ならずとも我々に共通の感情ではある。
特殊から普遍を描く。こういうのは「アルジャーノンに花束を」とかと似たやり方だ。

結局我々が怖れているのは「死刑」ではなく「死」なんだよな。

* * *

ところで、死刑制度そのものの是非はかなり難しい。
現代の日本人の遵法意識や法感覚は、死刑ありきの現行法制度で構築されている部分もあるので、
これを変えるというのは、現在の法体系を完全にやりなおす覚悟がいると思う。

なんの臆面もなく正論を言えた若い頃は、僕も死刑廃止論に賛成であった。
ヒューマニズム?そういうやつ?

壮年である今は、死刑制度に全面的に反対、とは思わなくなった。
それは、どちらかというと、仕事では、適切な時期に死を迎えることを逸してしまった人の不幸をみることが多いからかもしれない。

死刑を執行しないとすれば、犯罪者はずっと生き続けなければならない。
死ぬまで。

だって「人生百年時代」だよ?
終身刑終身刑で結構しんどいだろうなーと思う。
老いて、自我が曖昧になり、最終的には寝たきりになって死ぬ。
刑務所の中で、どこまでのケアができるのか。
誰がケアをするのか?そこの線引きは難しい。
基本的人権の尊重ということになるなら、生活保護の生活レベルまで維持することになる。

死刑制度に乗っかってしまった人の運命は、僕も理不尽なものであるとは思う。
が、その理不尽さは、例えば取り調べが冤罪を産みやすい密室主義であることや、拘置所から死刑執行までの期間がまちまちであることなど、死刑執行に至る一連のプロセスにあると思う。
そこをある程度改善することによって、死刑制度そのものの理不尽さ・残虐さは緩和されうるのではないのか、とは思う。

逆に死刑制度が廃止され、なおかつ現在の無期懲役終身刑にかわったら、囚人の魂は救われるのか。
前述したとおり、刑務所で身体にいい生活していたら、その間結構長い時間を生きることになる。
まあまあの国費を費やして。

じゃあ、早期更生して社会に出る?
社会にでてきたところで、昔よりも社会の隙間が少ない。
刑期を終えた元囚人が社会復帰するのは多分昔よりも難しい。
SNSがこれほどまでに発達してしまったら、素性なんてすぐバレる。
刑期あけの生活は、昔よりも厳しくなっているような気がするし。
それこそ支援者がいたり、身を寄せる裏社会があれば、生きていけるかもしれない。
それもなかったら、野垂れ死ぬか、生活保護で生きることになる。

なんか、難しいよ。今の世の中。
昔より不寛容なのは確かだ。
一旦前科がついてしまうと、やすやすと更生させてくれない。

 そう思うと、自分が死刑囚である、と考えると、ケリつけてくれたほうがありがたいとさえ思える。

* * *

ということで、「なかなかいい話」やと思っていたんだが、Wikipediaでいろいろ調べていると、作者の郷田マモラ、その後アシスタントの女の子に強制わいせつ暴行で実刑判決(執行猶予だが)下っていたりして、人という生き物の怖ろしさを、改めて感じたりもした。
人の世は難しい。

団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた

オススメ度 60点
同世代しばりだ度 100点

なんとなくAmazonに「お前こんなん好きなんやろ?」的に勧められてしまった。
はい、認めましょう。好きです。

看板に偽りなく団塊ジュニア世代のトレンドリーダー達にインタビューしたもの。
新井史郎・高島宏平・川辺健太郎・鳥越淳司・清水康之山本太郎・朝比奈一郎・稲見昌彦・カラスヤサトシ……

東日本大震災を除けば、団塊ジュニアの世代に共通体験は見当たらない。祖父の世代のように戦争も知らず、飢えの記憶もない。全共闘運動も資料でしか知らない。同世代の若者がひとつの目標や理念に向かって連帯することをまったく経験していない。そんなわれわれの世代の共通体験は『少年ジャンプ』ではなかろうか。

共通の時代のアイコンがないこの世代にとって共通軸になりうるものはなにか…ということでジャンプを持ってきているのだが、結論からすると、そんなにジャンプ関係なくない?と思われるインタビューも多かった。

あと、もう少し下の世代だったら、もっと男女比率、女性もでてくるはずだけれども、ここでは女性はでてこない。
ジャンプを軸に時代を斬る、といえば耳にさわりはいいが、ホモソーシャルさがやや鼻につく。

でも面白かったのは、私も1974年生まれで、この本の登場人物が皆同世代であるからに他ならない。
それなりに含蓄はあり、面白かったが、共通素材がジャンプというのもなー。
halfboileddoc.hatenablog.com

これは50代〜60代の話ではあるが、団塊ジュニア世代は、教養主義の凋落と実学志向のちょうど狭間であるのは間違いなく、大学のレジャーランド化は僕らの大学時代も続いてはいた。
我々の共通軸をジャンプにしか置けないというのは、冷ややかに俯瞰すると、結局はそういうことだ。

それは、いいことか?悪いことなのか?
昔の小説などを読んでいると、大学生でもヴァレリーだのランボォだの詩の引用をしているが、では戦前から続いていた教養主義が現在も続いていたとしても、その時に引用される古典が現在も通用しているだろうかと、というと疑問ではある。
世界そのものがかわってしまったし、このデジタルの時代に、18世紀・19世紀の文学の多くはその輝きを失ってしまったから。

 しかしそうはいっても、日本において知の系譜が断絶されてしまったことの意味は大きいと思う。
 理系の技術大国の凋落とも連動している。
 その意味では『ジャンプ、懐かしいな…』とも思うと同時に、自分たちのありようが、日本の凋落の片棒を担いでいる現実も見せつけられているようで、やや薄らさむくなる本でもあった。

昭和史もの3つ『あの戦争と日本人』半藤一利『大日本史』『さかのぼり日本史2』

終戦記念日である。
中高生の時には岸田秀司馬遼太郎を読んでいた自分にとって「なぜあんなバカな戦争を」という感想は所与の前提となっている。
けれども、もうすこし、歴史の細部に触れると、まあなかなか一筋縄ではいかないな、とも思うようになった。

例えば、思春期に1990年代だった僕から壮年となった2019年の現在までの日本のたどった道のりを振り返ってみると、愚かしい行為の積み重ね。日本はもはや経済大国とは言えない状態に凋落している。
だけど、これは為政者だけが悪いのではなくて、民間・国民すべての相互作用でこうなったのだ。
結局長期的に未来を見通すことの難しさ、よりよい未来にむけての政策を敷衍する難しさを痛感する。

今の日本の政治のありようを許している自分たちに、昭和初年から20年までの歴史に翻弄された先達を批判する資格があるだろうか?

半藤一利氏の回想録っぽい口語体の追想と考察。
明治から昭和終戦くらいまでのざっくりと振り返り。
統帥権」干犯が、泥沼の戦争をやめられなかった、という司馬史観の一人歩き(実際には『統帥参考』が書かれた頃には皇道派は権威を失っていたので、そこまでの力を持ち得なかったのではないのか…)
・国家の基本骨格ができる前に日本は軍事優先国家の道を選択していた(明治憲法に軍隊に関する条項は2条しかない)
・「参謀本部条例」など軍隊の規則は、明治憲法の法体系の外に最初から存在していた。これは山縣有朋のやったこと。
・「統帥権」だけではなく「帷幄上奏権」「軍部大臣現役武官制」この3つを軍部は利用して、政治に口出しをした。
東條英機(太平洋戦争の開戦責任)と近衛公爵(支那事変の「国民政府を対手とせず」近衛声明。支那事変拡大の責任)海軍の軍令部総長伏見宮殿下に戦争責任があるのではないか。
ハルノートが戦争のきっかけになったというが、発信前日から、マレー半島シンガポール攻略部隊は出撃し、真珠湾攻略部隊も同日出撃しており、スケジュール通りに作戦行動を遂行している。
・逆に、アメリカの原爆も、19年9月くらいから、長距離爆撃機の単独飛行と大きな爆弾(パンプキン爆弾)を投下するシミュレーションを始めている。だからポツダム宣言云々はともかく軍としてはスケジュール通りに作戦を展開している。

薩長史観から離れることで、みえてくることもあるよなあということ。半藤氏の戦後の経験から語られること。
基本的には半藤一利の近現代のわかりやすい総括。

NHKさかのぼり日本史。比較的ニュートラルなものの味方で、事実の掘り下げが丁寧であると思った。
太平洋戦争から支那事変くらいまでの概括。

終戦までのターニングポイントは「サイパン失陥」(絶対国防圏の崩壊。サイパン失陥後、軍人の死亡のうち、1944,45年が87%を占める)
・帝国国防方針による仮想敵国の設定。それと対照をなすかのような、アメリカの「オレンジプラン
・1936年の盧溝橋事件、どちらが仕掛けたかは不明であるが、36/5月の時点で、日本側が支那駐屯人数を約3倍に増強していた事実はしっておいてよい。
日中戦争と呼んでいるものは当時は戦争ではなかったが、それは国際法でいう「戦争」になると、アメリカは「中立法」を発動する。それは困ると日本も中国も考えた。(戦争状態にあると認められた国に対し、アメリカは1:兵器・軍用機材の輸出禁止、2:一般物資・原材料の輸出制限、3:金融上の取引制限などの措置をとる)


大日本史 (文春新書)

大日本史 (文春新書)

東大名誉教授山内昌之氏と佐藤優の対談。
『システム論』的に世界の動きと日本史を語るという内容。近現代をざっくりと。
読み口としては、例えば週間SPA!の後ろ2/3くらいのところにある記者が事件の裏事情とかを語る対談集に似ている。
・開国のあたりの事情(新興国アメリカの世界戦略と、クリミア戦争による力の空白)
・ペリーは浦賀のあと、琉球に寄港し、琉球修好条約を結んでいる。それだけペリーはなんとしても成果をあげたかったわけですが、当時の帝国主義国が琉球ネーションステートとみとめていたことははっきりしている。
岩倉使節団の覚悟を決めた大盤振る舞い(今でいえば100億円くらい)は、いいように作用した。
・明治政府の特徴として「富国強兵」と「公議興論」がある。富国強兵および法体系を整え近代国家となり不平等条約の改正を目指す部分とは別には、「公議興論」つまり人々の政治参加、民主化を志向するものが、木戸孝允ら長州派によって早い段階から唱えられている。
征韓論争は、外征によるケインズ主義と財政重視論・重商主義論の対立
・日本の犯した最大の過ちは、ロシアという陸の大国と戦った結果、大陸ばかりに気を取られて、よりグローバルな海洋の世界で起こっている大きな変化に気がつかなかったこと。
・結局日本は「海洋国家にとって最大の脅威は海洋国家だ」という地政学の基本がわかっていなかった。
日露戦争という世界を変えた戦争の意義を、当の日本がよく理解していなかった
天皇陛下には統帥権立憲君主制、あるいは近代と伝統を巧みに切り替えながら両立させていくハイブリット思考のできる人だった

3冊まとめて読んでみたが、かなり細かいディテールであったり、もう少し広い俯瞰した視点であったりと色々な視点で昭和戦史を振り返った。

若い頃は、太平洋戦争の無責任とも思える戦争指導者に怒りを抱いたりもした。
が、今は自分も意思決定権を持つ人間として、意思決定と未来予測の難しさをまざまざと痛感する。
トップダウンを取りにくい日本の政治体制は、こういう難局では割とダメになりやすい。
意思決定のカスケードも決まっていないし、決まっていない曖昧な状態をよしとする日本のシステムは、なんとかならないのだろうか?

『殺し屋イチ』山本英夫

殺し屋1(イチ)1

殺し屋1(イチ)1

KIndleで安売りだったですかね?まとめ買い購入。


変態、SM、そして暴力、妄想……
イっちゃっている漫画家山本英夫が本格的に世間に注目された作品。

ホムンクルス』もよかったんだが、最後どうなったんだっけか……
ちょっと風呂敷を広げすぎてわけわかんなくなってしまった。

ホムンクルスまで行ってしまうと、ちょっとポピュラリティは得にくいんじゃないかと思うけど『イチ』はその「肉は腐りかけが最もうまい」的な感じで、奇跡的にバランスがとれている。
エキセントリックさとポピュラリティー
狂気とストーリーテリングのバランスがよくて、内容とれている作品。
普通に読める。

とはいえ、その後の『ホムンクルス』の地平を知ってしまった身からすると、この作者の脳内のよくわからない何かを垣間見てしまっているわけで、その意味でちょっと怖いような描写はいくつか。

肉体の痛みそのものは、今僕らの生活ではあまり味わうことはないわけで、そういう痛みにフォーカスをあてて漫画で表現するのは、なかなか最先端だったように思う。

むき出しの暴力に触れることって少ないじゃないですか。
そういう意味では、今週のお盆休みに全国を席巻したあおり運転、からの車を止めさせて、外から運転手に殴りかかっている映像ね。

高速であおられ無理やり停車「殺すぞ」顔を何発も・・・(19/08/12)
あれなんか、めちゃくちゃウェイトののったパンチが当たってますけど、結構お茶の間的には衝撃だったと思う。
というか、あれ、暴力被害者がみたらPTSDのフラッシュバックを招きかねない。
Youtubeはともかく地上波で放送されるとは思わなかったな……まあマスコミの見識なんてそんなもんか。

こういう単純な暴力や身体切断を描けている漫画って今なら『ゴールデンカムイ』とかなんだと思うけど、あれはなんかあれで肉体がモノみたいに切り刻まれたりする生命のはかなさみたいなもんで、痛み描写が中心ではないような気はする。

痛みについての執拗なフォーカス、記憶の書き換えや妄想というところも含めて、
時代を考えても、殺し屋イチは斬新ではあったし、まあ良くも悪くも世紀末的な感じはあった。

そうだ、これを連載している時、僕は20代で、医学生最後らへんから、研修医になったころだった。
何か昔を思い起こさせるものばかり、最近は読んでいる。
死亡フラグなのか?

『読者ハ読ムナ(笑)』藤田和日郎

オススメ度 90点
コーチングの実践録として大きい度 90点


ちょっと前に『漫勉』というNHKの漫画家を紹介する番組で、「うしおととら」で一世を風靡した藤田和日郎氏が紹介されていたが、
ダイナミックな書き方、ホワイトを盛りまくる作風がかなり衝撃的だった。

この本は、藤田氏のアシスタント=新人漫画家の育成、それから担当編集者、武者さん、その二人と、新人漫画家との会話を、綴ったもの。
新人漫画家は完全に言葉を発せず、会話として藤田氏と武者氏が語りかける体裁で話はすすむ。
おそらくだが、幾人かの新人とのやりとりをまとめたものであろうなと想像する。

* * *

期待していた以上の内容だった。

漫画については全く門外漢の僕だが、なにがしかの創造活動に従事している人間にとって、ものすごく重要な内容が語られていると思う。

演劇、音楽、小説、なんにせよ、クリエイティブなもので食っていくための心構えは共通だ。

そして、後進を育てる際に必要な年長者のあり方の一つを、藤田氏は示してくれていると思う。

藤田氏のオフィスでの「ムクチキンシ」の意味、
コミュニケーション能力は、訓練によって培われるもので、持って生まれたパーソナリティーではない。
人が話している時には、その人の話をきけ。

以下、備忘録。
(漫画の作画や、ストーリーテリングに対する考えなどにも興味深いものがあったが、そこは
 少し他業種の人には関係ないので割愛)

  • 自分の力で「山を登る」ことの大切さ。
  • 評論家ヅラしているのは楽だが、それは言い訳して逃げているだけだ。
  • 筋トレも練習もなんもしないで、プロのスポーツ選手になりたいと言っているようなものだ。
  • 心を耕さないと、作品は育たない。
  • 同人誌?持ち込んでうまくいかない時にはすすめない。「息ヌキはクセになる」んだよ。
  • 「これ、いいよ」と言われた時に躊躇なく読んじゃうような素直さがある人間から、うまく転がり始める
  • 「共通の価値観をつくる、共通言語をつくるために映画を観る」
  • 漫画は、まず言語化だ。
  • 暗闇の中やっていくには、本当は信頼できるメンターや伴奏者がいないと、作家は孤独すぎると思う。
  • 作品について言われたことを自分自身に対する攻撃だと混同しちゃう。
  • 君は「キミだけの武器は?」「個性は?」と言われた時に、外に答えを探した。「俺は勉強していないからダメなんだ」って。外に答えを探すな。内をみつめるよりほかから持ってきた方が、自分と向き合うより楽だからだよ。でも個性は、内側を見て、自分の過去を振り返らなきゃ見えてこない。
  • どんなやつにも、びっくりするくらいのチャンスは来る。
  • そのとき「やっぱりダメだ」ってビビらないためにおれがいる。
  • 新人のうちはネットの感想だとか、そんなもんは見なくていい。100誉めてもらっても、ひとつけなされたらがっくり落ち込むのが新人作家だよ。連載をしてゆくキミに必要なのは、追い風なんだ。

うしおととら」も「からくりサーカス」ももう一度読み直したくなったな。
特にからくりサーカス、って、最後らへんすごく感動した覚えがあるけど、ストーリーあまり覚えていないのだ。

『あり金は全部使え』堀江貴文

オススメ度 90点
2000年代のホリエモン=お金 という間違ったパブリックイメージが妨げになる度 100点

あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる

あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる

この前の移動力(これは長倉さんの本だが)も合わせると、
halfboileddoc.hatenablog.com

  • 有り金は全部使え。貯金なんかしたっていいことなんか何もない。
  • とりあえず、定住生活をやめろ。

ということになる。

結論からするとかなり乱暴だが、考え方のプロセスやその理由を説明してくれると、なるほどと思える。
というか、現在の日本人の大多数が思い描いている「普通の生活」。
今の日本人はこれが当たり前に続くなんて思っているけど、今後の世代も変わらないなんてありえない。

だから、日本の制度疲労や今後も変わらない意思決定の遅さ(特に政治においてもだが、経済の世界の意思決定も遅い)を考えると、ちょっと極端かもしれないが、これくらいの荒療治が必要かもしれない。

我々は変わらないといけない。
適応しないといけないのだから。

* * *

それこそ、世の中の変化の潮流が100年単位から20-30年単位に加速したのが昭和後期。
(だからこそ、時代の変化を感じにくい伝統的な手工業・農業などが不人気化した)
しかしいまや21世紀の変化の単位は10年くらいである。
5年、10年で、かなり色々なことが変わる。
だから、かつてのシステム、20才前後の資質で階級のふるいわけを行い、それ以降は階層流動のないシステムはうまくいかない。
公務員のキャリア・ノンキャリア、や学歴社会のシステムは、そのためにチューンナップしたものだから、もはや現代では、スピード感が足りない。

つまりは「いっぱい受験勉強をしていい学校に入ると一生安泰」という前世代の図式は完全に崩れている。
人生のいくつかのポイントで、自らのレベルアップすれば、次のステージに進むことができる。
進めなければ、そこでキャリアは止まる。

そういう社会では、社会人になった時点で、その次のレベルアップ(それは個人の能力であったり、友人関係などの社会資本であったり、様々な面からのレベルだ)を自らの手でマネジメントする必要がある。
社会人になったらOKではなく、学び続けて、付加価値をつけてゆく必要がある。

ホリエモンの言っていることは、この時代の潮流を正しく指摘している。

前世代からみると、ホリエモンの言葉は乱暴に思えるかもしれない。
しかし現代に適応するには、それくらいの覚悟が必要だ。
やり方を変えろ。
というメッセージだ。

乱暴な物言いには「自分の経験のためにお金を使わない人間がなんと多いことか!」という
ホリエモンの苛立ちも反映されているのだろう。

ただ、ホリエモンこと堀江氏の主張で、僕たちが忘れてはいけないのは、
ホリエモンのいう「金」は、当然自分で稼いだ金だ。
(もちろん、勤労によって稼いだ金も、投資によって得た金も、区別はない)

多分、親から受け継いだ財産とかを全部蕩尽しても、
自分で得た金という感覚が乏しければ、ヒリヒリせずお金を使うのであれば気づきも経験も得られないだろう。
「金を使え」ったって、得るものがないと意味がない。*1

ホリエモンの主張は、実は拝金主義の批判でもある。*2
どちらかというと、現代は資金需要は余り気味。
投資家は有望な投資先に困っているくらいだ。
お金そのものの価値は今後も低くなる。
お金を溜め込むよりも、自分に投資して、さらに上を目指せ。
ということだ。

それにしても、
「下手な考え休むに似たり」という慣用句が、これほどしっくりくる時代もあるまい。
いや「休むは下手な考え以下」だな。

*1:しかしホリエモン世襲階層社会を嫌悪しているから、そうやってバカなJr.が同じように金を使って、さして経験につながらないのは、ある種「平等」でいいんじゃない?という考えなのかもしれない

*2:このへんも、ライブドア時代のホリエモンしかしらない老人世代にとっては、理解できないことかもしれない。でもホリエモンは一貫して拝金主義ではないと僕は思う

『ハイパーミディ中島ハルコ』『最高のオバハン』

オススメ度 100点
両方読めばさらに倍!度 100点

当代もっとも売れっ子といっていい東村アキコ女史。
多作であるがゆえに、若干荒めの画風ではあるが、むしろ描線に勢いがあり、痛快な台詞回しとストーリーテリング、緩急、取り上げる題材の豊富さ、どこをとっても、現代の漫画プロダクションとしては最高といってもいいでしょう。
出る作品出る作品、「読んでみようかな…」と思わせられてしまうね。

東京タラレバ娘東京タラレバ娘番外編「タラレBar」「即席美人のつくりかた」を見ていて、この漫画も視界にちょいちょい入っていたので、この度読んでみることにしたわけです。
そうすると、へー。林真理子原作だったんですね。
halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com

ただ、二人の波長がめちゃめちゃ合っているのか、違和感のなさに驚く。
原作あり漫画の「自分の作風ではない」感は全くなくて。
まあ、当代最高の職人、原作つき漫画でもやっぱり上手いんだな、とも思うけど、
で、林真理子の原作の方も読んでみると、やっぱり東村アキコの作中感覚で違和感がなく読めるのだ。
忠実に漫画化している上に、自分の波長ともあってノリノリ。

多分、村上春樹が、『グレートギャッツビー』とか『ライ麦畑で捕まえて』とかを趣味で翻訳しているのと同じように、
これは東村アキコの小説→漫画の翻訳みたいなものなのだと思う。

だからかもしれない、小説の方は、漫画単行本2巻まででは出てこないエピソードもあるが、これも僕の脳内では東村アキコの絵柄で登場人物が動いてくれるのだ。いやぁ、すごいな。漫画って。

あちこちにパワーワードがでてくる。


「その男のことはどうでもいいけど、三百万は惜しいわね」


「あんたさ、人はだれだって人生のオトシマエをつけなきゃいけない時がくるのよ。私みたいに一人で生きてきた者には孤独ってやつ、あんたみたいな専業主婦には停年のダンナを負わなきゃいけない時がくるの」


「そもそもこの世の中の悪いことの半分は、親が原因で起こってんだから」


「そうでしょ。女は男の下半身とセックスするわけじゃないの。男の全体とセックスするのよ。頭も心も込みでね。頭も心もよくてセックスもうまい、なんて男はめったにいるもんじゃない」

うん。面白かった。
ちょっとヒヤリとするような話も多かったけど。

この本の、恋愛や相談の舞台の多くは、いわゆる経営者層の話なのである。
私は、こういうハイソな文化にどっぷりつかることについて逡巡があるのだ。
社会的には一応そういうクラスに属しているんだと思う。私は。
しかし、そうはいってもそういうクラスの中の末席だ。
しみったれている。
平安貴族階級としては田舎の受領(ずりょう)みたいなもんだからなぁ。