半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『まどろみバーメイド』

オススメ度 80点
フレアバーテンダのこと知れた度 90点

まどろみバーメイド 1巻 (芳文社コミックス)

まどろみバーメイド 1巻 (芳文社コミックス)

 昔から書痴というか濫読家だった僕は、まあ博識な少年だった、と言ってもいいだろう。
 そんな頃、文学・小説にでてくるお酒、カクテルやウィスキーなどにも興味津々だった。
 大人になったら、お酒の蘊蓄を語ったり、バーとかにいって美しい女性と会話を楽しんだりするシャレオツな男性になるんだろうな……なんて、なんとなく夢想していたのだ。


 だが、現実は違っていた。
 そもそもお酒は好きではないし、そんなに強くもなかった。*1
 おまけにタバコも苦手だ。*2
 ダンディーなおじさん、に属性だけでもひっかかっている「ジャズ」という趣味は手に入れた。が演奏する方ってそんなにシャレオツでもないのだ。演奏のない普通のバーにはほとんど行かなくなった。*3

 結局半端な酒の知識だけが残った。
 行かないし、味わわないのだから、知識としては片手落ちなんだ。
 これなら、地道にいろんな酒を飲み歩いてきた無学なおじさんの方が酒を知っている、と言える。
サーキットの狼」に憧れていた小学生が、大人になってダイハツムーブに乗っているのと大して変わらない。

 この本はKindleでなんとなく出会って買った、女性バーテンダー(バーメイド)の話。
 3人のバーメイドが同居している。
 一人はいかにも主人公らしい、社交性のない天才肌(おまけに、夜が弱いというバーメイドにとって致命的な弱点もある)。
 一人はホテルのオーセンティックなバーに勤務している控えめだが実力派の長兄的な女性。
 一人は、ややビッチテイストなトムクルーズ「カクテル」のようなフレアバーテンダー(なんかジャグリングみたいな動作をしながらカクテルを作る)。
 三者三様でバランスもいい。絵もうまいし、ストーリーテリングも、これはまあ最近よくあるグルメ漫画の定型ではあるが、上手いもんです。女性の絵に自信がある方なんですね。

 飲まないけどバーに行きたくなった。
 ただ、バーというのはそれなりに男性文化でもあり(イギリス、アメリカの「クラブ」文化を受け継いでいる)、バーの女性というと、ピンクキャリア的な意味あいに陥りやすいが、その辺はうまく、そうじゃないように描写している。この辺のジェンダーレスっぽい描写は、いかにも平成から令和の作品だよなと思った。

 あ、ドラマ化もされているのね?しかも今クール。だからプロモーションされて、僕の目にも止まったのか。

*1:飲み会は好きだが、飲むのは嫌いなタイプ。それにADH2ヘテロのフラッシャーで、2代続く由緒正しい食道がんの家系だ。

*2:バーではタバコ暗黙の了解でOKなのは、どうにも釈然としないな。新法改正で規制強化はされるのだろうが、バーの友人とか、接客側の健康被害もバカにならないとは思っているので。

*3:夜はどっかの店でピアノを弾いている老人になりたい。

「とてつもない失敗の世界史」

オススメ度 100点
トマス・ミジリーの無名なのに影響力強すぎ度 100点

とてつもない失敗の世界史

とてつもない失敗の世界史

人類、万物の霊長とか言ってますけど、ものすごい間抜けなことばっかりやってまっせ!
という話を、今時の洋書にありがちな割とポップな口調で書いている(それとも訳のはやりがそうなのか)本。

人類の脳はあんぽんたんにできている。
ま、昔のギリシア神話でいうと、プロメテウスとエピメテウスというのがいて、プロメテウスは「先に考える人」エピメテウスは「後に考える人」だったんだけど、人間っつーのはまあエピメテウスもいいとこだわなあ。

現生人類がやってくると、途端にご近所さんがいなくなるというパターンが人類の歴史を通じてにわかにできあがった

私たちがやってくると、わずか数千年で ネアンデルタール人は、私たちのDNAにその遺伝子をうっすらと残して、化石の記録から消えていった。

そうでなければ殺してしまったのかもしれない。まあ。それが私たちだから。

今思うと、創世記の原罪としての知恵の実のりんごなんぞ言っているけど、我々はもっと同族のネアンデルタール殺しをもっと原罪として背負わないといけないのかもしれない。

この本の内容は、人間の脳の「ヒューリスティックス」回路によって、不正確な情報を集積し、誤ったパターン認識のもとに、堂々と間違ったことを侵すという人間の過ちのパターンができた、というもの。
それに集団思考(内心おかしいなと思っていても声高な主張があればそちらにしたがってしまう)の習性と「ダニング・クルーガー効果」(よくわかっていない人間ほど、自分の無能さを認識できず自分を買いかぶり、間違った選択を断定的にしてしまう)が輪をかける。*1
とはいえ、そこの専門的な掘り下げというよりは、事例紹介が中心だ。

農業革命と、アラル海の話とか、メキシコ湾のデッドゾーンアメリカ南部から流れ出る肥料のせいで藻が大発生している部分)、イースター島のエピソード。
アメリカでのムクドリの大発生(現在帰化植物・動物が在来種を脅かすなんて話は常識になっているけど、昔はその逆のイギリスから動物をもちこんで定住化させる「アメリカ順化協会」なんぞがあったらしい…)、オーストラリアでのうさぎの大繁殖。

もしくは専制君主の愚かしい行為。
では民主主義がいいかというと、民主主義で下された間違った決定など。
思わぬ結果をうんだ政策。
戦争での馬鹿馬鹿しいエピソード。
植民地政策でのささいな意思決定とそれが何千万人もの被害を生み出すことなど。
外交での馬鹿馬鹿しい失敗。
自然破壊。有鉛ガソリンと、フロンを同じ人間(トマス・ミジリー)が発明していたとは知らなかった。

愚行を、ジャンルごとにわかりやすく取り上げ、非常に面白い…面白くはないけど、取り上げ方がシニカルなせいか、渇いた笑いが込み上げてくる。
元気はでないし、明日から頑張ろうという気にもなれないが、「まあいいか!」という気にさせられてしまう作品。
いや、受け止め方としては、全然よくないんだけどね。

「愚行の世界史」

愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで

愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで

以前にこれも読んだことがあるな。これはなんか、シリアスに紹介しているので、
愚行に対して怒りを感じるやつだった。

*1:そういえば、「なんでも鑑定団」と「芸能人格付けチェック」はダニング・クルーガー効果が肝になっていると思われる。

『池田勇人 ニッポンを創った男』

オススメ度 80点
現実逃避度 80点

池田勇人 ニッポンを創った男

池田勇人 ニッポンを創った男

選挙が終わったあとなので、ちょっと前に読んだ池田勇人の伝記を。
なんか最近マンガにもなっていた池田首相の伝記。広島の人なので、手放しで点があまくなってしまうところは仕方がない。
ちなみに漫画はこれ。

疾風の勇人(7) (モーニング KC)

疾風の勇人(7) (モーニング KC)

残念ながら造船疑獄までで、連載終了。総理になってからが本番なのにね…

池田氏の人生は戦前・戦後の混乱期から高度経済成長、そして自民党の政治基盤が盤石になってゆく時代に重なる。
昔は安定した政権与党という状態になっていなかったので、合従連衡が当たり前。
55年体制が形作られる前の政局は流動的で、わくわくする。その後も自民党内の派閥抗争もあるしね。

天疱瘡、とか、妻の死とか、肺結核とか、前半生は、なかなかもがき苦しむようなものであったが、
大蔵省での活躍とその後の政治については、トントン拍子。
直情径行で、歯に衣着せぬ言動で、なんどもマスコミのバッシングにあってしまうけれども、単純な人でもなく、前半生の苦労もあるので、人心掌握にもたけていた。政治勘もするどく、政局での立ち回りも得意だったと。

最後は、食道がんで、かなり早く横死してしまったのは残念であるが、いかにも昔らしいエピソードであるなあと思った。

私はこの時代を追体験しているわけではないのだが、親世代である団塊層にはノスタルジーと共にぶっ刺さると思う。
しかし高度経済成長期の日本は、ある種シンプルな考え方で、国を発展させたら人民も富む、で遮二無二進んだ時代。
バブル、そしてバブル崩壊後、そして、ある種清貧の思想がもてはやされた90年代は、今生きている我々を生きにくくしているように思う。

バブルの時の金満主義は正視できないし、醒めた目で見ずにはいられない。
でも、清貧という状態で、国が回るかというと、徐々に商品の冷え込みによる経済の鈍化で、緩慢ではあるが衰弱してゆく。
その間、周辺諸国は、50年前の日本のようなナイーブな考えで、遮二無二突き進んでいる。

難しい問題だよね。
今回の選挙だって、投票率を見る限り、絶対的な窮地に追い込まれていないように思える。
革命を起こすよりはまず投票にはいくだろう。
50%以下ということは、現状に問題意識もない、と取られても仕方がない。
もしくは追い込まれていてもそうは気づかない「茹でガエル」状態にさせられているのか。

『アガペー』真鍋昌平と『ウシジマ君』とホリエモン。

オススメ度 80点
ディストピア度 80点

アガペー (ビッグコミックス)

アガペー (ビッグコミックス)

この世は苦界であるなあ、という印象。

・アイドルファンの
 多分取材をもとにしたやけにリアルなお互いを軽蔑しながらの、アイドル応援
 (アイドルはアイドルで、クソな現実の中でもがく)
・モールでくすぶっている人たちが結婚した同級生にむける羨望。
・福島の人たちが都会にでてきている人。
どこも、現代を鋭く切り取っている。うーん、救いがないなあ。

社会の底流を描いた作品で、印象的なものはいくつかあるが
『四丁目の夕日』『無能の人』などのつげ義春の一連の自伝的作品群と重なる部分がある。

四丁目の夕日 (扶桑社コミックス)

四丁目の夕日 (扶桑社コミックス)

無能の人・日の戯れ(新潮文庫)

無能の人・日の戯れ(新潮文庫)

ただ、この作品で描かれる底流の人は、とにかく金がない感じではなく*1、希望がない感じだ。

『ウシジマくん vs. ホリエモン カネに洗脳されるな! (小学館文庫)』

ウシジマ×ホリエモンは食い合わせが良い度 100点

これはホリエモンこと堀江貴文氏が、ウシジマ君を読んで(かれの愛読書の一つだそうだ)抱いた感想、というか、
ウシジマくんの作中のエピソードと、自分の経験談とをミックスして書いており、ただの感想文ではない。
ホリエモンは、よくもわるくも裏表のない人だ。
世の中には、あまり明示化されていない裏ルールのようなものもあるわけだが、ホリエモン言語化されていないそうした裏ルールをもっとも嫌う。ルールはきちんと明示して、フェアに戦えばいいじゃん、と。
そういうところが若者にうけ、既得権益層をひどく警戒させた。
以下、備忘録:

  • プライドの高い人はまず自意識過剰だ
  • 「自分で始末つけます型」の経営者は、失敗しやすい。組織を率いる立場にある、部課長クラスだって同じ
  • プライドが解決してくれる物事など、基本的にない
  • カネとはあくまで手段だ。目的ではない。
  • 人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。
  • 真面目すぎる人はたいてい、問題の切り分け方が下手だ。
  • ひどい裏切りの事例も、引いた視点で見れば、裏切り者は誰もいないことがほとんどだったりする。私はライブドア事件をそう総括している。
  • 過度の義務感は、自己愛を生みやすい。
  • カネ儲けが目当てでつくる借金は、ケタが違う。
  • この世でもっとも悪いことのひとつは、現状維持だ。

この備忘録の部分だけ読んでも誤解を招くと思う。ちゃんと読めばいいこと書いてあるので、
ぜひ一読してみるべし。

*1:金がない人の話はウシジマ君にでてくるからだろうか

『猥談ひとり旅』カレー沢薫

猥談ひとり旅

猥談ひとり旅

カレー沢薫の本は、故ナンシー関の一人語りに似たアイロニーと、しかし、イラストでも表現できる強みとがあり、
なかなか面白い。
また腐女子としても造詣が深く、そっちがらみの話も、面白い。

2年前に知ってから、結構読んでいる。
halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com


『ブスの本懐』あたりから人気が出てきた。
最近は、コラムニストとして勢いを感じる。
お声がかかることが多いのか、芸の幅も広がっている最近だと思う。

これはなんと「漫画ゴラク」から声がかかって、ゴラクで連載された記事の書籍化。
f:id:hanjukudoctor:20190717194525j:plain:w200

な、なんやて〜!
ゴラクで連載やて〜!

思わず『ミナミの帝王』の登場人物ばりに棒読みで叫んでしまったよ。

カレー沢は既婚であるが、自分語りするかぎりセックスレス
そんなカレー沢が、ワイ談を語るという。
しかも腐女子が。
おっさんの巣窟であるゴラクで。

自己言及でも、

人のセックスには興味津々だが、自分の話になると急にAKB顔になるという、エロガッパの中でも一番徳の低いカッパであり、尻子玉と間違えてウンコを引きずり出してしまうタイプ

しかし、耳年増の情報量は半端なく、カレー沢女史のエロ話、なかなか面白い。
BLの人たちは、棒と玉と穴のことばかり考えているのだから、そうなのかもしれない。

逆に、例えば東村アキコ内田春菊的な、恋愛に置ける女性性を濃厚に押し出したエロ話はカレー沢には希薄だ。

確かに『ゴラク』を読むおっさんにぴったりのカラリとしたエロ話が似合う。
言うなれば、大衆食堂で焼き魚定食を食べながら昼間おっさんが話しているような雰囲気の下ネタ。

女性が読んでいて思わず濡れちゃうような話は一切でてこない。

  • そもそも女性のオナニーグッズに「これだ!」という物がないのは、まず女のオナニー方法に「これや!」がないからな気がする。女である私でさえ、どの方法がメジャーなのかわからないのだ。
  • 真の危機管理とは、事故を未然に防ぐことである。つまり童貞というのは防衛大臣に任命したいほど危機管理に長けているのだ。

パワーワード多数。
そして、ゴラク編集部は風俗に行き過ぎ。

なんといいますか、この本も、やっつけ感が満載なのだが、やっつけでも一定の水準をクリアしている。
それともこっちがカレー沢に慣れてきているので、補完して読みやすくなっているのだろうか。

『「自己啓発」は私を啓発しない』

オススメ度 70点
この人の盲従度スゴイ度 100点

「自己啓発」は私を啓発しない (マイナビ新書)

「自己啓発」は私を啓発しない (マイナビ新書)

かなり痛快な本だった。

マグロ漁船仕事術、という本をつい最近読んだ。
halfboileddoc.hatenablog.com

これはなかなかの良書で、あまりビジネス本に興味がない人でもたやすく読める。
その理由は、具体的な部分と抽象的な部分のブレンドがうまいから、と思っていた。
もちろん、乗船したマグロ漁船の船長が、日本でも有数にすぐれた船長だったから、だというのもある。

それにしても、ちょっと筆者の方は明晰すぎるんじゃないか?
と思ったのだが、それには理由があった。

* * *
この本は、実録「裏『マグロ漁船仕事術』ができるまで」みたいな本だ。

実はこの方、今の『マグロ漁船仕事術』というコンテンツを得て花形の著者・講演者になるまでには、そうとうしょっぱい下積み時代があった。しかも、下積みというか、積み上げてどうこうなるわけではない、迷走の時代。

マグロ漁船仕事術ではさらりとしか触れていなかったのだが、この本の前半の主人公は、主人公の職場のパワハラ上司だ。
若干昭和感ただようパワハラ。おそらく著者の斎藤氏はくみしやすしととらえられたのか、マウンティングと、自分のいうことをきかせる道具として取り扱われてしまう。尊大な自我は、必然的に部下の人格を軽視する言動の数々を引き起こす。

「死ね!」という言葉は朝のあいさつのようなもので、1日1回は聞かされる言葉

だったっていうんですからね…

斎藤氏はこの職場環境に適応すべく、自己啓発セミナーに通いまくる。
「若い頃は自分に投資すべし」みたいなアドバイスを真に受けて、年収200-300万円のころから、10万円以上の自己啓発セミナーを何個か同時並行で受ける日々。計600万以上を自己啓発セミナーにつぎこんだという。

いや、これ「素直」…というか、ちょっと素直すぎない?

おそらく、この手の詐欺まがいの自己啓発セミナーには「カモのリスト」として掲載されていたのは想像に難くない。
ただ、上司のパワハラもやまないし、それに対抗するすべもなかった。

コミュニケーションというものは、最終的には相手次第だからなのだと思います。相変わらず朝から「お前、まだ生きてたんだ」と見下す目で笑われ、夜には飲みに連れていかれて3〜4時間の説教をされ、おまけに「今日も俺はお前に仕事ってもんを教えたんだから、お前が払っておけ」といわれ、飲み代まで払わされる生活が続いていたのです。

その後、うつ状態となり会社を休職することに(当たり前だ)。

さて、上司のさらに上司に実態がバレて、部下への指揮命令権がはずされて、この事態は突然終焉を迎える。
筆者の自己啓発セミナーとかの努力は関係なかった。

でも、転職しようと思う。そして転職成功セミナーを受講する。
その合間に、講師としてデビュー、異業種交流会、ネットワークビジネスの世界にも足を踏み入れる。
自主開催のセミナーも開いてみる。みたいな、自己啓発セミナーのセミプロみたいな感じになってゆく日々。

職場では、上司が抜けた穴をうめろと言われてリーダー的な地位についたりする。
コミュニケーション・セミナーとかで培ったスキルを駆使して部署内の人間関係をまとめようとして、ウザがられたりする。
(本心で、「他人を操りたい」という欲望が自分にあることをおそらく同僚に喝破されていたからだと思う、と述懐している)
そして会社の方針に下手に逆らったために、疎まれる。
しかも、これもセミナーで培った労務知識かなんかを振りかざして業務命令に逆らったために、こじれて自主退職への道へ。

行動力だけはすごいよね、この人。
でも後半のくだりはイタタタタ……

自己啓発セミナーで、知識を取り入れて、それを野放図に使ってしまうと、いびつな成長になるのかもしれない。
少なくとも、職場での成長の予測範囲で得られるスキルを飛び越えたスキルを身に着けることができるから。
でも、それをうまく自分の仕事に活かすには、賢察さが必要なのだろうなと思わされた。
禁断の魔法を手に入れてしまった若い魔法使いの失敗のようだ。ゲド戦記一巻だ。

ということで、コンサルタントして食っていくしかない道に追い込まれる筆者。

ただ、この人がすごかったのは、こういうイタタな経験に終わらず、パワハラ上司の思いつきでマグロ漁船に乗せられちゃったエピソードや、自己啓発セミナーやビジネスコンサルティングの講座で習ったことを生かして自分なりに世界に発信できるコンテンツを作り上げられたことだ。

ただ、ほんと、必然的にあの本がかかれたわけではなく、ほんと人生綱渡りだったんだなあと思う。
この人の人生、絶対追体験したくない。
人の3倍くらい辛い目にあっていると思う。

それはさておき、自己啓発セミナーに対するこの人なりの総括はみるべきものがあった。

『魔女の世界史』

Kindleの日替わりセールにて購入したと思う。

魔女といえば中世の話だと思っていた。
確かにそうなのだ。
だけど、中世以降の「新しい魔女の時代」。それから現代につながる魔女の系譜というものがあって、この本はそういう紹介だったりする。


中世の魔女、魔女論について、僕はあまり詳しくはない。
これは別の本で読んでみよう。
しかし、中世は精神の抑圧・自由な思考の抑圧、という時代なので、今の時代・今の考え方と全く地続きではないのだよな。
だから意欲が湧かない。
かつて、これほど精神の自由が許された時代があっただろうか、という時代を僕らは生きている。
もちろん、大正モダニズムが昭和の軍国主義にとってかわったように、今の自由さが許されなくなる時代がまた巡ってくるのかもしれないが。

いずれにしろ、僕たちがイメージしている「魔女」は「中世の魔女」であって、魔女そのものでなく「中世」のイメージなんだ。*1
キリスト教と結びついた封建的権力による階級的搾取と性的差別の下に置かれた女性達が、ステレオタイプの「魔女」のイメージである。

ただ、現在のフェミニズム潮流や、19世紀演劇などで流行ったファムファタル像、女性に関するさまざまな視野・偏見・イメージは現代にもある。
女性に対するネガティブな見方は「ミソジニー」という言葉で定義するとわかりやすがい、
結局「魔女」というラベリングは、そもそもミソジニーからだったのではないか、という話。
ミソジニーの対象となるような傑出・突出した女性像、それが中世には「魔女」というラベルを貼られて弾劾されたわけだ。
たとえば、「ジャンヌ・ダルク」とかはそういう系譜ですよね。

魔女がミソジニーの対象であるとすれば、当然ながらフェミニズムの領域であるとか、ファッション・演劇界でのイコンとなりうる女性も、この「魔女」とう言葉に含まれる。「中世の魔女」とイメージは断絶しているが、女性論としての「魔女」を再定義すれば、現代においても魔女という言葉は、とりまわしの良い言葉として使えるわけですね。

ただまあ、一般的な話でいえば、「魔女」といえば、「ねるねるねるね」のおばあさんのような、鉤鼻で黒衣に身を包んだ魔法使い然としたイメージだから、あえてスティグマに満ちた言葉を再利用しなくてもいいのではないか、と思ったりはする。

という意味で、かなり予想を裏切られた本。
というのも著者の海野弘は『アール・ヌーボーの世界』で有名になった19世紀〜20世紀が得意な人だから。

ミシュレ『魔女』

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

これは、昔の本なので、読みにくかった。昔の本って読みにくいよね。
上記の、魔女という言葉の再定義になったルーツと言えるべき本。

*1:この辺は澁澤龍彦感があるよね