半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『魔女の世界史』

Kindleの日替わりセールにて購入したと思う。

魔女といえば中世の話だと思っていた。
確かにそうなのだ。
だけど、中世以降の「新しい魔女の時代」。それから現代につながる魔女の系譜というものがあって、この本はそういう紹介だったりする。


中世の魔女、魔女論について、僕はあまり詳しくはない。
これは別の本で読んでみよう。
しかし、中世は精神の抑圧・自由な思考の抑圧、という時代なので、今の時代・今の考え方と全く地続きではないのだよな。
だから意欲が湧かない。
かつて、これほど精神の自由が許された時代があっただろうか、という時代を僕らは生きている。
もちろん、大正モダニズムが昭和の軍国主義にとってかわったように、今の自由さが許されなくなる時代がまた巡ってくるのかもしれないが。

いずれにしろ、僕たちがイメージしている「魔女」は「中世の魔女」であって、魔女そのものでなく「中世」のイメージなんだ。*1
キリスト教と結びついた封建的権力による階級的搾取と性的差別の下に置かれた女性達が、ステレオタイプの「魔女」のイメージである。

ただ、現在のフェミニズム潮流や、19世紀演劇などで流行ったファムファタル像、女性に関するさまざまな視野・偏見・イメージは現代にもある。
女性に対するネガティブな見方は「ミソジニー」という言葉で定義するとわかりやすがい、
結局「魔女」というラベリングは、そもそもミソジニーからだったのではないか、という話。
ミソジニーの対象となるような傑出・突出した女性像、それが中世には「魔女」というラベルを貼られて弾劾されたわけだ。
たとえば、「ジャンヌ・ダルク」とかはそういう系譜ですよね。

魔女がミソジニーの対象であるとすれば、当然ながらフェミニズムの領域であるとか、ファッション・演劇界でのイコンとなりうる女性も、この「魔女」とう言葉に含まれる。「中世の魔女」とイメージは断絶しているが、女性論としての「魔女」を再定義すれば、現代においても魔女という言葉は、とりまわしの良い言葉として使えるわけですね。

ただまあ、一般的な話でいえば、「魔女」といえば、「ねるねるねるね」のおばあさんのような、鉤鼻で黒衣に身を包んだ魔法使い然としたイメージだから、あえてスティグマに満ちた言葉を再利用しなくてもいいのではないか、と思ったりはする。

という意味で、かなり予想を裏切られた本。
というのも著者の海野弘は『アール・ヌーボーの世界』で有名になった19世紀〜20世紀が得意な人だから。

ミシュレ『魔女』

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

これは、昔の本なので、読みにくかった。昔の本って読みにくいよね。
上記の、魔女という言葉の再定義になったルーツと言えるべき本。

*1:この辺は澁澤龍彦感があるよね