- 作者:呉座 勇一
- 発売日: 2015/12/09
- メディア: 文庫
『応仁の乱』で有名になった呉座氏。
中世日本史がフィールドなのだが、この呉座氏の単著デビュー作らしい。
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(以前の記事の後半に呉座氏の著作を読んでいる)
中世日本は我々一般日本人がなんとなく理解しているけど、もっとも専門家と一般人との知識と常識が乖離している分野だそうで。
一つには中世の出来事を現代の思想でとらえるからだと思われる。原文を読めばその当時の人の考え方にせまれるような感情などにも触れることはできるけど、一次資料にあたる研究者はそれほど多くはないから。
一揆は左翼運動の文脈で認識され、農民による一揆=階級闘争と認識されているが、一揆は反体制運動ではない、というのがこの本の主張。
むしろ、中世は身分制という面の階級社会というよりは、主従関係も契約で、自分の主人は自分で選ぶことができる(おそらくそれが変わったのは戦国末期から江戸にかけて)
なので、一揆というのも、暴動や革命という階級転覆を狙ったものではない。そもそもそういった階級意識が室町には希薄だった。それよりは人の繋がりの一パターンとして「一揆」という言葉が使われていた。なので、三国志の劉備関羽張飛の「桃園の誓い」。あれが、多分当時の一揆のイメージとして理解しやすいんじゃないか?ということだ。
ちなみに竹槍による一揆は明治期の10年間くらいしかなかったらしく、僕らの思っている「一揆」のイメージは、この近世の記憶に裏付けられているようで。
中世の話は結構おもしろくて、この前の網野氏の著作もそうだけど、漆を塗り重ねるようにして鎌倉・室町時代の知識がアップデートされる。まあそれがアップデートされたからといって、どこに到達するわけでもないのだけれど。
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個人的には「人の繋がり」という言葉は、自分のクライアントに、診察室に入った瞬間「人と人とのつながりが大事で…」といいながら、他の人の悪口をいいまくったりクレームをいいまくるという精神攻撃をする人がいて、
(それは「人と人とのつながりが大事だから、お前が僕に投げつけてくるクソに我慢しろってこと…?)
ともやもやするので、「人と人とのつながり」という言葉は、あんまり好きではないのだけれど。