オススメ度 60点
安心感 80点
村上春樹の紀行文のまとめ。
以前に買っていたけど、数年間ほったらかしている。*1
村上春樹は一時期紀行文を書いていたが、ある時期からペースが落ちた。
この本はそうやってペースダウンした紀行文を寄せ集めて一冊にしたもの。
なので、一番古いものは結構前の作だったりする。
私も村上といえば龍というよりは春樹派の人間。
多くの村上春樹作品(小説もエッセイも、翻訳も)を読んでいるので(やれやれだぜ)、読むと、いつもの村上文体に安心する。
何年経とうが、相変わらずの村上節ではある。
イタリアであったりギリシヤだったりアイスランドであったりフィンランドであったり、小説の取材で訪れたのも含まれているので、小説を懐かしく思い出したりもした。もう一回読んでみようかなあ。
一応ジャズおじさんなので、NYのジャズクラブ探訪記について。
もしタイムマシンがあったら、1954年のクリフォードブラウン、マックスローチのクインテットを観に行きたいと言っていたけれども、たしかにどんな空気感であのバンドが受け入れられていたかというのは僕も興味がある。クリフォードブラウンはとにかく若死にで活動時間が短かったので、エピソードが少ないのだ。酒もタバコもドラッグもやらないクリーンで人格者だったということだが、Joy SpringとかDaahoudとかJorduの作曲センスを見る限り、あんなひねこびた曲作る人がストレートな性格なわけないやろ!とは思う*2
* * *
しかし、今僕らはコロナウイルスのために、家から出ることもできない。
旅人にとっては厳しい時代だ。
初期の村上春樹は、「デタッチメント」がキーワードだった。
まあ昔でいうところのデラシネ=根無し草だよね。
共同体に根ざした自己から言葉を紡ぐのではなく、あくまで共同体から切り離された自己のありようを言葉にする人だ。
だからこそ村上春樹は長編の執筆のたびに外国に短期滞在したりしているし、そういうデタッチメントが世界文学に昇華した一因ではなかったかと思う。*3
つまりは村上文学は、ローカルではなくグローバルでしか成立しないわけで、新型コロナウイルスにより、大なり小なりローカルに縛り付けられている現状は、極めて非・村上的だ。
村上だけではなく、旅は我々の魂をしがらみから解き放ち、自由な思索を許す。共同体に居たままでは腐れてしまうような精神も旅によって解放されることもある。こうした旅の効用が、短期間であるとはいえ全世界で全く禁止されてしまったわけで、世界全体の見えない損失ってどれほどのものだったんだろうね。