- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/16
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 31回
- この商品を含むブログ (129件) を見る
短編三編で、非常にコンパクトである。単行本だと1000円以上するのに、文庫だと安いな。安い以上に場所をとらないことこそが嬉しいです。
感想。うーん、純文学、である。
しかしだ、この「純文学」って言葉は一体何なんだろう。
「純文学」といわれている一連の小説群って、これが純文学だという共通属性が今ひとつわからないのである。これが、通俗小説に関してなら、通俗的な小説にはまぎれもなく類型がある。純文学っては本当にジャンルとして一括りにしてよいものだろうかと思うのだ。「推理小説」や「SF小説」などとは違う。
むしろ、純文学の純というのは「ピュア」とかそういうイメージではなく、ヘロインとかコカインとかの「純度がきつい、薄い」とかいう言葉のニュアンスに近い。
そういう意味では、この小説は、ちょっと純度強すぎるよね。
ところで、舞城王太郎が「春樹's children」といわれるのには少し異議がある。
きわめて個人的な感想ではあるが、僕の考えでは、世界をおおざっぱに「春樹」と「龍」に分ければ、猥語の語法に関しては、「春樹」は「マスターベーション」「オーラルセックス」である。それに対して「龍」は「オナニー」「フェラチオ/クンニリングス」である。
その分類法でいえば、舞城はまぎれもなく「龍」派であるといえよう。だから僕は舞城を春樹's children
といわずに、村上's childrenと言えばいいんじゃないかと思う。全く意味合いがぼやけてしまいますけれども。
印象に残ったのは、二編目の『バット男』の中の一節。
この話は、そういう作者の声がちょっと聞こえてきすぎるきらいはあるけれども。
人生はスポーツではない。負けてないことが勝つことにはならない。そしてこれは誰にでもわかっているだろうが、人生ってのは大きな引き分け試合だ。でもそれぞれの局面において、勝ち負けはちゃんとある。って言うか勝ち負けしかない。でも負けたときしか、勝ち負けの判断はうまくできないのだ。
(『バット男』より)