ちょっと前に読んだこれ。
タモリさんについて書かれた本。
考えてみれば、なぜ日本国民は「タモリ」という人間をお茶の間のアイコンとして選んだんだろうか。
そこにはどういう集団意識が作用していたのだろうか?
本では、キーワード 「タモリにとってXXとは何か?」という形で章立てしてわかりやすくいろんな切り口でタモリさんを語る。
国民的なタレントとして、タモリのTV番組などについては所与のものとして、くだくだしく説明したりはしていない。
それゆえ、100年経ったらこの本はよくわからないように受け取られるかもしれない。
・タモリはもともと気配りの人間
・様式は偽善(披露宴で奇行などの暴挙をはたらいたり)
「ちゃんとしたことに対する嫌悪感があるのかもしれませんね」
不自由になりたがっている人間が不安から逃れるための幻想・錯覚・自己喪失の場=排除すべきもの
・実存のゼロ地点
「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉を引用
・タモリの家族に関するエピソードなどは、あまり知らなかった。タモリのお母さん:破天荒な人生。奥様は、タモリの人格形成に大きく貢献しているのかもしれない(子供のいない仲のよい夫婦として、村上春樹に共通点がある)
結局のところ、1980年〜1990年の価値観の相対化みたいな都市文化に、タモリという存在は絶妙にハマったような気がする。
2020年代の現在、そうした1980年代らしさは随分価値を失ってしまっているわけで、世間のタモリの消費の仕方もまた、ややデクレッシェンド気味といいますか、相対的に価値を減殺しているのかもしれない。
タモリ論
ちょっと前に読んだこの本は、よりTVに消費されるタモリの記号的な意味について語っていたように思う。しかし、この本をきっかけに著者の樋口氏の本にいくつか手が伸びた。
halfboileddoc.hatenablog.com