半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『イルカも泳ぐわい』

最近はあまりお笑いをおいかけなくなっているので、Aマッソのことはあまり知らなかった。
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この記事が存外に面白かったので、YoutubeでAマッソのコントを何本かみたり、著書を買って読んでみた。

なるほど。
面白い。
「女性芸人」という限定されたお笑いの枠ではなく、ストロングスタイルで割と攻めたお笑いなんやなあと思った。
いわゆる既存のフレームワークそのものに対する挑戦的なコントなどもしていたり、なかなか一筋縄ではいかない。

「女性芸人」というカテゴリーは、なかなか難しい。
「女性棋士」というのと同じで、ジェンダーによって保護されている反面、ある種差別ともいえる。

お笑い芸人は「笑顔になってもらう」というアウトカムを目標とするわけだが、それに対して、女性芸人はどちらかというと無邪気さ、天然さ、という「笑われる」というアプローチをとりがち。
しかしAマッソは、社会批評も含め、かなり明確に「笑わせる」というスタイルであると思われる。
昔はこういう姿勢を貫けば「女のくせに生意気な」とか言われたのかもしれない。
いやまあ今でも言うやつはいるだろう。

女性芸人、そして女性芸人の定型にハマらないスタイルというのは、多分いろいろ注意が必要なのだと思うが、Aマッソはそれについて、一貫してスタンスのとり方を試行錯誤してるんだろうなと思われた。

ステレオタイプの場合は、あまり考える必要はない。
が、「お笑いとはなんなのか」。その本質は学問的にも提供側の芸人もよくわかっていないので、現象論としてのお笑いというのは、本来わけわからない哲学のようなものなのである。
「笑いの神が降りてきた」という言葉があるけれども、そのよくわからない現象を各人なりに要素分解して再現したものが、
ヒットメーカーになるのだとは思う。
定式がはっきりしないけれどもそこには一定の論理性や方法論がうかがえる。
その意味ではジャズのアドリブソロなどに近いような気がする。

* * *

ただ、これは個人的な私の事情だが、声の高さと声質的に、やや苦手かもなあと感じた。
なので、本だと、そういう苦手な部分が減殺される。

そういう色々考えている忙しい人が、色々考えているとりとめのないことをエッセイにしたためている。
答えの無い問いに対して、いろいろ眺めすがめつ、考えているさまが面白い。

例えばジャズプレイヤーにとってはステージ上の演奏が「本番」なのだが、家で一人で練習している時、あれこれ試したりする。
それの芸人版のように、面白いことも面白くないことも文章にして整理している。
話をする人だけあって、文章はとてもわかりやすい。

私も好きな岸本佐知子さんが文中に登場する。
エッセイの文体は少し似ているような気はする。
読んで、なんといいますか、キツネにつままれたような不思議な読み味だった。
聡明さとよくわからない非言語的な領域を、きちんと自覚して自分の考えを言葉にされている。
ある種の未完成さに非常に惹きつけられた。

ちなみに、巻末にコント台本をノベライズした(?)「帰路酒」という小説が掲載されていたが、これが、中島らもっぽい読み味だった。
小説としての構成があえて未完成っぽい感じも含めて。
お笑いでいったら 松本人志の「寸止め海峡」的な…とでも言えばいいのか。

* * *

Aマッソ加納さん、大学のサークルとかによくいるちょっとやさしくてちょっと意地悪な面倒見のいい女の先輩、って感じがすごいある。