- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2000/09/01
- メディア: 文庫
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私は広島から神戸の超進学校に合格し、中学1年生から親元はなれて下宿をしたんです。
下宿してまもない本棚には、4月には大して本はなかったのですが、家にあった本のなかで私が持ってきたもの、親が、読みよしと思った本などが混ぜ込んでありました。
混ぜ込んだなかに、この本があったんです。ただし、一巻だけ。
(今思うと、そういう本の中に『滄海よ眠れ』というミッドウェー海戦を描いた作品もありました。これは、あろうことか二巻だけしかなかった。そしてそのまま残りを読まずに今に至ります。)うちの親は、けっこういいかげんなんですよね。
一巻は、少年期の不遇な嘉兵衛が村にいられなくなり、兵庫に逃げ出して船頭としてのキャリアを積み始めるまでで、今思うとそれなりに面白かったはずなのですが、そこから続きを買わずに、気がつくと手放して大人になってしまった。
この前、思うところあり、二巻を買い、実に25年ぶりに続きを読み始めたわけです。そして二週間ほどかけて、六巻を読み終えました。(ペースとしてはゆっくりな方です)。
一巻から六巻まで25年。中々得がたい経験だったように思います。
中学1年生の自分と、今の自分では、全く別人のようであり、自分という自我の端っこの尖った部分は、それほど変わっていないようでもあり。
高田屋嘉兵衛は、江戸時代後期の船頭〜廻船問屋で、極貧の立場から身を起こし、北海道航路の貿易のみならず、蝦夷地における海産物の開発、航路の開拓などにも着手した人物でした。そして国情のからみでロシアにつかまってしまい、一言で言うと人質交換で、日本に帰ってきた(ゴローニン事件)という経歴の持ち主。
ひとことでいうと、高田嘉兵衛のような人物こそが、司馬遼太郎の理想像なんでしょうね。司馬遼太郎が好きな人物を書く時には、やはり熱が入っているんですよ。
再読した時に、「ロシアにつれてかれる江戸時代の船頭」という定型で考えて、途中から「あれちょっと違うな」と思っていたのですが、念頭においていたのは井上靖『おろしや国酔夢譚』だった。
あれも同時代ではあるが、大黒屋光太夫という船頭で、別人。
大黒屋光太夫はサンクトペテルブルクまで連れていかれ、エカテリーナ二世に謁見しているわけですから、伝記小説としては、こちらの方がキャッチーなんですけれども、高田嘉兵衛を取り上げるというところが司馬遼太郎らしいと思う。
結局は司馬遼太郎は、出来事を書きたいわけではなく、人物を書きたいわけで、ことに際して、どのように行動するか、その奥底の行動原理を理解してもらうために、幼少期からの人物像を、逆算して丹念に描いてゆくわけです。
高田屋嘉兵衛は、まず雇われの船頭仕事をしてお金を貯め、一隻の船を得て、それを運用して、沢山の船を運用し、貿易を行い、高田屋は急速に発展してゆくのですが、このあたり、まるでRPGやSLGのようです。
やがて、松前では押しも押されぬ存在になる。
小説としては、そこまでで六巻中四巻を費やしており、なんともタメの長い話です。
五巻では、高田嘉兵衛を離れ、ロシアの国情がロシア側を中心に語られる。
六巻の冒頭で、高田嘉兵衛がロシア船に拉致されて、ロシア側のリコルド船長と必死のネゴシエーションの果てに、虜囚として日本側が捕まえているゴローニンの開放にこぎ着ける。六巻のダイナミックスたらないわけですが、しかし逆に、高田嘉兵衛という存在をまるで投げつけ、蕩尽するかのように事はすすみ、事を成したあとの嘉兵衛は消え入るかのように隠居し、死ぬ。(もっともこのへんは司馬遼太郎の筆がそうさせているのであって、ゴローニン事件から五年たって隠居、隠居してから九年は存命だから、必ずしも司馬の筆致ばかりではあるまいが)
四巻までは光栄のSLGのような話で、六巻は、光栄のSLGゲームのような、アイテムとフラグを使い切るような話です。六巻は、なんとも凄まじい。
人の一生は、一事のみにあって、光り輝く。しかし、それまでに人となりを整えておかないと、立派な働きはできない。いつかあるかもしれない一事のために、自分というものを磨き上げなければいけないなあと、司馬遼太郎の本を読むと、いつもそう思います。
ところで、六巻ででてきた、船に同乗させていた愛人は、その後一体どうなったんだろう。
ちなみに、『滄海よ眠れ』は澤地久枝さんの渾身の名著です。全部読んでないけど。
滄海(うみ)よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死〈1〉 (文春文庫)
- 作者: 澤地久枝
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1987/06
- メディア: 文庫
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