- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/10/20
- メディア: 単行本
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諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
宮沢賢治の詩が、モチーフになっているのか、何度も取り上げられます。
確かに伊坂幸太郎は、基本仙台を舞台にした作品が多いですから、宮沢賢治は、無視できない存在なんでしょう。
というか、伊坂を伊坂たらしめている栄養分の一つ、といってもいいのかもしれませんね。
極めて普通の小説のような始まりであるが、内容としては政治、そしてその政治のもつ「ぬえ」的な要素。
例えば、大正〜昭和初期にはプロレタリア文学というのがあったり、戦中には戦中文学があり、全共闘時代には全共闘らしい文学というものがある。あるらしいんですよ。僕はよく知りませんが。
ただ、第二次ベビーブーマーの我々の世代には、そのような政治的な潮流というのはなくて、ポストモダンというのは、「ものがたり」というものが終わってしまった、「終わりなき日常」だなんて、若いころの宮台真司にいわれちゃうような状況でした。
ポストモダンのこの時代的状況に沿った政治に関する文学作品というものはあまりない。
すくなくとも、そういう作品は、作品群を為してはいないのです。
おそらく、ポストモダニズムというものは、政治的なものを、切実なものとして取り扱わないという態度こそが本質であり、政治なるものはないものとして日々を暮らすことが、時代らしさとさえいえる。
(村上龍は、彼なりに、現況に対して回答を模索しているように思われる。だから彼は現代において、異彩をはなっているし、それなりに、世代を超越した感じがただよう)。
話を小説に戻しますが、
さっぱり出口のみえない話であるが、モダンタイムスとあわせて読むと、物語の補助線があらわになる。
おそらく伊坂自身にも手探り感はあるが、この作品は、「いろいろなものを書く伊坂が、政治的なものも書いてみました」というものではなく、あまり露わにはしない、伊坂の哲学が投影されている作品と考える。