半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『向井くんはすごい!』

なんか、ここまで今の時代を追ってる漫画は、咀嚼が難しいわね。

向井ゆうきはゲイである。 それは彼のクラスでは、周知の事実であった。 彼に理解を示す友人もいる一方で、黒い感情に包まれる者たちもいる……。 友達。恋人。同級生。 でも、言えない気持ちは、みんな、みんな、たくさんある。 大人気WEB漫画が加筆修正のうえ、描き下ろしを加えて上下巻同時発売!

なんか「この漫画がすごい!」的なやつで紹介されていたので読んでみた。

高校生の群像劇。
SNSLGBTスクールカースト
2020年代らしい世相。

スクールカーストの上の辺の男子、向井くん。
でもその向井くんはゲイ。

スクールカースト上位陣なおかつスポーツマンだけどゲイで人気者の向井くん。
それに対し、アンビバレンツな感情をもつカミングアウトしていない陰キャのゲイ。
インセルのゲイ。
ルッキズム
ヘテロでアンチゲイの友人。

登場人物すべてが、ステレオタイプから微妙にツボを外した人物造形。
さまざまな力動線が複雑に交錯し、なんとなく終幕にむかう。

割と爽やかな絵柄だけど、心象風景はかなり複雑でドロドロしていた。

うーん。多分今の若者の緊密な人間関係って、SNSがある分、全くオフタイムというのがなく、息詰まる関係性なんでしょうなあ。

向井くんの周りでいろいろな事件が起こるわけだけれど、当の向井くんは、屈託のない(絶妙に薄っぺらい)人格であるのも、ある程度リアル。

『死ぬまで、努力』丹羽宇一郎

これを読んで素直に「そうだよな」と思えるかどうかで、自分の心のささくれぶりが推し量れるかもしれない。

* * *

日本の世界幸福度は年々低下傾向ではある。
6つの項目のうち

  1. 一人あたりGDP(対数)
  2. 社会的支援(ソーシャルサポート、困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)
  3. 健康寿命
  4. 人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
  5. 寛容さ(過去1ヶ月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)
  6. 腐敗の認識(不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか)

日本の場合は、社会の寛容さ、社会的支援の充実ぶり、人生の選択の自由度が先進国の中でかなり低いことが原因になっている。

にもかかわらず世界で日本というのは人気、という状況で、「日本まだ大丈夫」と思いたいが、そういう世界にとっても観光としてはいいけど、住みたいわけじゃない、という現実を直視しないといけないよね。

というあとがきは、しごくまっとうなもの。

「それを変えていくには努力しかないぜ」というのが本書の主張。

  • 〜してくれない、とか受動的な態度に陥ってはいませんか?
  • 自分に対する評価というのは絶対甘くなる(能力というのは他人が評価するもの)
  • いい虚栄心をもとう
  • 〜してあげよう(ギブの精神)
  • 能力のランプに灯りが灯る瞬間を経験した人は、のびる
  • 年老いても能力は伸びる
  • アリの時代→トンボの時代→人間の時代(成長の段階)
  • コミュニケーション能力があっても、仕事に対する情熱がなければ、ただの宝の持ち腐れ
  • 働き方改革」は仕事を悪ととらえている


成功者が後進に語る言葉としては、もっとも穏当なものではないかとは思った。
努力しなきゃいけないぜ、とはいうけれど、別に成功者がブラック労働を賛美する、とかそういうものでもない。

が、こういうのを聞いてくれる素直な若者に届きやすい言葉であり、この本では、世界は変わらないのではないかな?
とも(少し辛口ではあるが)思った。

働き方改革に対してさまざまな問題提起をされているのはいいのだが、働き方改革そのものが今までの職場の価値観との相克である以上、しょうがないのかあなと思ったりもする。

メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への変革期。
そんな中でもすべての時代に通じるのは、個人の成長であるわけで、個人への成長をしたほうがいいよ、と語るこの本は、結局すごくまっとうなことを言っているとは思った。

* * *

なんだろう、読後感が弱いのである。
多分、上品すぎる。
上品なダシの日本料理が、屋台の油ギトギトの料理(Newspicksとかのビジネス本かな笑)に、人気で勝てないような感じ、だろうか。

小津安二郎の映画、みたいな読み味だと思った。

それに違和感を感じるのは多分「死ぬまで」という強めの言葉がタイトルにあるからじゃないかと思う。

halfboileddoc.hatenablog.com
例えば、この本は「死ぬ」という言葉もしっくりくる強めの態度・本文、姿勢。

amazonのすごい会議

問題は、どうやってそういう作法を持ち込むか、だ。

アマゾンがなぜ高い生産性を誇っているのか?
アマゾンにいたことがある人が、アマゾンの意思決定のやりかた(会議やマネジメントの方法)を紹介する、って本。

・パワーポイントは禁止、ナレーティブを用いる
・変革を行うときには背後にある暗黙の前提や価値観を勘案することが大切
・情報伝達が目的の会議は必要ない
・ワンオンワンのコミュニケーションが定期的に行われる
・会議資料は1ページか6ページ
・Tenets(テネッツ)と呼ばれる「信条」も作成する
・会議の入る前と後で変化がなければ意味がない
・責任を明確に。会議にオーナーシップを明記する。
・議事録:「決まったこと」「次回までにやること」「担当者」を記入して
・クイック・アンド・ダーティ(完璧でなくてもいいから、早く)
・オーナーは会議に介入しすぎない
・KPIを重視

なるほど。モンゴル軍がなぜ世界を席巻できたか、というのと同様に、なぜアマゾンが世界有数の企業になったか、というのがわかるね。

しかしこれを、地方のローカルビジネスの中小企業にどこまで敷衍できるか、というのが問題。
アメリカかぶれの二代目ボンボン経営者が、現実を見えないふりして、空気読まずに持ち込む……というのが、もっとも成功しやすいのかも。
しかし「ああ…ねぇ…」と思われるのもなんだかだし、そういう風に無理やり導入したって、身につかないのである。

モンゴル軍も日本上陸、日本征服はかなわなかった。
完璧なアマゾン流を現在の職場風土に持ち込んでも、多分うまくいかない。
(そもそも経営規模が違うと、資料やプランにかかるコストもかわってはくる)
ただまあ、日本人ってこういう外部のものを換骨奪胎(和魂洋才)して取り入れるのが伝統的にうまい。
ブラッシュアップして良い要素を取り入れる、くらいに考えたほうがいいのかもしれない。
いや、そういうことをすると結局競争力の源泉となる要素をクレンジングして、意味のないものになってしまうかも。

そもそも、会議の形だけ変えるとイノベーティブになる保証もない。

アマゾンの場合は職場風土としてネオフィリア(新しいモノに抵抗感がない)の集団だと思うし、中小病院の専門職は、総じてネオフォビアである。また、日本人の組織はトップダウンだけでは動かない。ミドル層のなんとなくの合意形成を必要とするのも確か(この辺は個人の開業医の方がトップダウンの改革はしやすいだろう)無駄に見える会議も、ミドル層の納得のために必要…なんてこともある。

『魔法少女特殊戦あすか』


いわゆる『セーラームーン』や『プリキュア』など世界の脅威を救うために立ち上がった魔法少女たち、が、最後の対決(ディストニア戦争)で世界を救った。
そのあと、という設定で物語が始める。

僕は『魔法少女もの』はそんなに詳しくないので、そういう前作があるのだと思ったけど、ないらしい。
後日譚から物語が始まる。

確かに「ヒーローもの」って、日常から非日常に移行し、最後はラスボス倒して日常に戻る。
わけだけれども、その後めでたしめでたし、と保証されるわけでもない。

ちょっと考えたら、世界はズタズタ。
被害者は多数、そして通常兵器で立ち向かい、損耗した各国通常兵器。
このままでは国家の安全保障上大きな欠陥があることを、当然国家は問題とせざるをえない。

世界に何人か生き残っている「魔法少女」が、超大国間のパワーバランスに利用されないわけもなく……
ということで各国の特務機関と水面下で魔法少女に関わる強大な軍事技術開発とか、次世代魔法少女の量産だとか、そういう試みが行われる。
当然ながら自国の軍事力になるのであれば、敵であった魔族のテクノロジーを使うことも、厭うはずもない。
そういうキナ臭い話に、元「魔法少女」が巻き込まれる…みたいな話。

そういうやや価値が相対化した世界の中で、不相応にパワーバランスを乱す「魔法少女」という存在はどう扱われるのか……。
ま、当然暗殺やテロの対象になったり、捕まって拷問を受けたり、とか、そういう感じになります。

魔法少女まどか☆マギカが切り開いた系譜で『魔法少女モノのダーク・ファンタジー』ということになるだろうか。

* * *

少女たちが酷薄な目に遭うという意味では、Gunslinger Girlにも似ているのかもしれない。
halfboileddoc.hatenablog.com



最終的には上手なストーリーテリングで、ハッピーエンドにおさまり、よかったよかった。
主人公のパートナー的な立場におさまるダークヒロインも幸せになったようで、よかったよかった。

立花隆『僕の血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』

知の巨人立花隆さん。昨年亡くなられた。

2000年代前期に書かれた著作。まあ、読んだ本についてコメントしつつ紹介しているような本。
まだ、ブログ、という形式が始まっていない時代。
現在ならSNSで猫も杓子も書いている書評ブログの形式そのものだが、商業ベースでそれが許されるのは、昔も今も立花隆クラスでだけだろう。

立花隆はこの形式の本を1992年から書いていて、この本は3冊目になる。

20年前くらいに取り上げられている本なので、さすがに時事ネタなどは古い。
少し懐かしく思いながら、取り上げられたインデックスを眺めた。

基本的に、本をある程度の資料として数を読み込んでいくスタイルの場合、あるトピックに対して数冊読んだ上で自分の価値判断を立てるわけで、この本でも、一つの本をピックアップするとそれに付随して別の本を2−3冊紹介するスタイルをとっている。
本は単体ではなく、そうしたいくつかの本の集合体(コンフォーメーションという理系用語が、個人的にはしっくりくる)で理解しておくことが重要だと思っているのだが、この本では立花隆なりのコンフォーメーションを紹介しているので、興味深くよめた。

もちろん、20年前のことなので、今では陳腐化しているものもあるし、むしろ当たり前になったようなものもある。
そういう時代変化も含めて、いろいろ趣深かった。

立花隆自身が、これは100年先にも通用する、と思って書いていない当世風の書評を、20年後に読むことをどう意味づけするかは難しい問題だ。
ナンシー関の本を今読むことに似ているかもしれない。

時間は距離だ。
20年分の距離の分、この本と今の僕は隔たっている。
のび太の宇宙開拓史、コーヤコーヤ星とのワープホールはだんだん距離が遠ざかってしまう。
あんな風に、20年前の本と今の僕の間には距離ができてしまっている。

ただ、20年前の僕はきっとこの本を楽しんで読んだ筈だ。20年前の自分を懐かしむかのように、僕はこの本を読んだ。

北海道漫画『スナックバス江』『波よ聞いてくれ』

はてなアノニマスダイアリーで誰かが言及していたので、興味をもったので読んでみた。
面白かった。
『THE3名様』『チェリーナイツ』『魁クロマティ高校』『ピューと吹くジャガー』のように男性誌の後ろの方にあるギャグ漫画、ということになるのだろう。単行本の部数の割に、知ってる人は意外にいる、みたいな漫画ね。
料理でいえば、『お通し』みたいな存在。
連載誌ではなく、こういうのを単行本でまとめて読むと、案外めっちゃ面白い時もあるし、ちょっと……という感想になることもある。
この本は前者。

すすきのから5駅離れたところにある寂れたスナック『バス江』(=場末ってことね)の人間模様。

なんといいますか、なんともいえない読み味。

酒呑みどころで交わされるたわいなく偏差値の低い会話の数々。
その割に意外に緻密なプロッティング。とせりふまわし。
f:id:hanjukudoctor:20220123152329j:plain:left:w300
うんこのショーシャンクて。
往年の『特攻の拓』「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまった」みたいに、ルビにキレがあります。

画風は、なんですかね?
ビックリマンシール(女性キャラ)と漫☆画太郎先生を足しで2で割ったような感じですかね。主人公ちーママ明美だけ描線にブレがないけど、あとはもやもやした筆捌き。
チーママ明美のアンニュイさとストレートなツッコミ。
常連客の愛すべき癖の強さ、モテない童貞森田の破壊力。
キャラが立ってるなあ……

地味に各話ごとに洋楽の曲名がタイトルに冠せられているのもいいですね。

もう一つ。北海道漫画。
波よ聞いてくれ』はスープカレー店員の鼓田(こだ)ミナレが、ひょんなことからローカルラジオ局のパーソナリティに抜擢され、型破りなMCでカルトな人気を博すところから、物語が回り始める。
こちらは、画力・コマ割りはじめ、漫画的な技量超一級の沙村広明
料理で言えばメインディッシュになりうる、主役級の作品である。

その漫画的描写は圧倒的で、ストーリーがいい感じに転がっている。
まるで登場人物が行きあたりばったりに好き勝手に喋り・行動するようなリアリティを感じさせる反面、田舎のカルト宗教集団に拉致されたり、北海道地震が起こったり、漫画的なプロッティングもうまい。もうとにかくうますぎる。
脇を固める登場人物の人物描写も、非常にリアルでもあり、魅力的でもあり。
とくに、本作では「素人パーソナリティ」という、型破りだけど言語能力があり、キレのあるMCという、非常に難しい役どころを、とても高い完成度とセリフで描ききっている。「おい沙村は絵がうまいだけじゃないのかよ」と瞠目すること間違いなし。
読んだことがない人は一見すべし、だと思う。

数年前から「いつか書こう」フォルダに入れていた『波よ聞いてくれ』が、まさか『スナックバス江』のついで、みたいな感じに紹介してしてしまうとは…や、すんません。

* * *

しかし『波よ聞いてくれ』の鼓田(こだ)ミナレといい、この『スナックバス江』の明美といい、北海道には、こういう女性が多いのか?
頭のいいツッコミの女性って魅力的ですよね。

北海道行きたくなるよな。
北海道観光局の差し金か?

八甲田山とわたし

映画『八甲田山』。昔は時々はテレビでも放送されていたが、最近は観ることはなくなった。

halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com

私は『八甲田山』が好きだ。
バカバカしいからだ。
岸田秀司馬遼太郎山本七平らが繰り返し指摘してきた大日本帝国陸軍の愚かしさが、集約されているからだ。そしてそれは残念ながら戦後の会社組織での風景と地続きでもある。

しかし、この映画『八甲田山』はそういう日本人の意思決定の愚かしさの教訓として取り上げるには、いささか長過ぎる。他の人に勧めにくい。というか、はっきりいうと映画としては退屈すぎるのだ。

3時間の長尺で、プロットもテンポもよくない。
退屈なシーンは『寝るな!寝ると死んでしまうぞ!』という歩卒の酷薄さを追体験させたいかのようである。

* * *

マーケット・プロダクト的には『八甲田山』はプロダクト・アウトの典型であると思う。

プロダクトアウトとは、商品開発や生産、販売活動を行う上で、買い手(顧客)のニーズよりも企業側の理論を優先させることである。 「作り手がいいと思うものを作る」「作ったものを売る」という考え方。 マーケットインの対義語である。

八甲田山、当時の豪華俳優陣のオールキャストで数年かけて雪山で撮影を敢行。
めっちゃくちゃ大変だったらしい。今だったらCGでなんとかするものも、完全にリアルで撮影している。
(史実以上に、脱走兵続出だったらしい笑)
おそらく、そういう撮影で大変だったシーンをバッサバサカットできないせいで、冗長になった。
作り手の思いと実際の大変さが、名作になれなかった原因だと思う。*1

意思決定の愚かさ(具体的にいうと青森隊の大隊長と神田大尉の間での意思決定の朝令暮改)にフォーカスを絞ると1時間半くらいにまとめることは可能でしょう。誰か再編集してくれたらいいのにと思う。ま、その「マーケット・イン」は存在しないけどね。

そういう意味でいうと、映画『八甲田山』というのは「意思決定の愚かさ」という悲劇を描こうとして作った作品づくりが意思決定の不徹底で失敗している、という極めて皮肉な作品なのである。

そういうメタ視点での間抜けさこそが、僕がこの映画を大好きな理由なのかもしれない。
やー、こじらせてますね笑。

どれくらい好きかというと、わざわざ映画『八甲田山』のテーマを吹くくらいです。
youtu.be

しかしこれも、今のお若い方々に刺さるものでもないし。
ちょっと昔にカフェでBGM演奏をしていた時にみんなが知っている名画の名曲(Moon Riverとか、追憶とか)をレパートリーに入れたことがあったんですけど、八甲田山…は周りに訊いても反応薄かったなー。
本来はアメリカで『タワーリング・インフェルノ』『ポセイドン・アドヴェンチャー』が大ヒットしたことをうけて、和製ディザスター・ムービーを作ろうという流れで、八甲田山だったんだけどね…

*1:こういうの、研究とかでもありますよね。めちゃくちゃ苦労したけど大したデータにならなかった部分を、完全に削除するには勇気がいる。