読み味という点で、共通点があった。
目の見えない人は世界をどう見えているのか
目の見えない人は、世界をどう認識しているのか。私は目の見えない人は知人にいない。ちなみに。なのであまりこういうズレを認識したことがなかったが、軽い気持ちで手にとると、めっちゃ面白かった。
見えない世界とはどういうことか。
見えない世界は、見える世界の欠落ではなくて、見える世界とはまた違う世界の認識方法である、ということを再確認する。
というか、目の見える人同士でも、世界の認識の仕方はかなり違うはずだ。
(そんなショートショートが、R.A.ラファティにあったな)
大岡山のエピソード。
「見えない人」は見えない分、構成認識力に優れコンテキストの拾い方に鋭敏である。
見えない人には「死角」がない(主観的な一人称視点がないから)
見えない人の住まいのインテリアは、ミニマル。
なぜなら、物がなくなると探すのが大変だから。
見えない人はメモが取れない。だから多くのことを記憶する必要がある。
見えない人の歩き方。足の裏がサーチライトになっている。
また体幹の軸が固定されている。見えない人は案外転ばない。
見えない人は「色を混ぜる」というイメージが今ひとつわからない。
人は環境に振り付けられながら行動している。
「感覚にヒエラルキー」があるという伝統的な考え。
ソーシャル・ビューイングの面白さ。
全く縁がない世界だからかもしれないが、読み進むにつれて「ほうほうほうそうなのかー」と得心がいく面白さがあった。
うまく説明できないが、一読をお勧めします。
「自分の常識」が、崩される心地よさ、といいますか。
少し昔に読んだこの本に読み味が似ている。
四角形の歴史
「トマソン」「老人力」で有名な赤瀬川原平さん。現代アートは、思惟の力が強いものだが、この「四角形の歴史」にも「ほほーう、なるほど」と思わせるものがあった。
もちろん、根拠=エビデンスはない(芸術だからね)。
しかし説得力はかなりのものだ。
エビデンスはないものの着想のみで本を書ききってしまう人っています。岸田秀さんとか、梅原猛さんとか。
そういう人の「オルグの強度」ってとてつもなくて、それが僕は好きなんですけど、それに近い中毒性があった。
それを絵本仕立てみたいな形式で、説明。
視覚と文明の起源をがっつり考察している。
- 印象派=風景画の始まり。
- それ以前の絵は「犬の視点」と同じだったのかも。
- 「四角」の「画角」のようなフレームというものが、こういう対象物の周りの風景に意識が向くきっかけだったんじゃないか。
- 雨の日に、窓からみている風景。これが、風景画の原点かもしれない。
- しかし、この「四角形」は人類の歴史の中ではかなり後にならないと出現しない。
- 四角形の始まりは物を整理していて、「二列目の出現したところ」から始まるのではないか。
こう文章にしてみると今ひとつなので、ぜひ本をパラパラと手にとってみて読んでみていただければ。
* * *
一冊目の視覚障害の話。
視覚については、今ひとつピンとこないが、例えば「音感」については自分にも経験がある。
私は、幼児音楽教育には興味持てず、本ばっかり読んでいた子供だった。
ひょんな成り行きから中学からトロンボーンを始め、大学からジャズにハマり、結局35年くらい音楽を趣味にしている。
だが、出発点が悪かったので相対音感も絶対音感もない。
これは、小さい頃からピアノやってた人間(絶対音感があったりする)に比べるとすごいハンデではあるのだ。
しかし、フィーリングで演奏できないからこそ、構造的に音楽に触れてゆくしかない。
ジャズ・スタンダードのコード進行にたくさん触れて、コード進行の類型化を行い、フレーズの練習を愚直に繰り返し、
結局アドリブができるようにはなった。(もちろんそこにはかなりの苦労はあった。面白かったけど)
で、同レベルのアドリブ勢の中で比較すると、音感があってアドリブできる人(こちらの方が大多数だ)は、コード進行の細かい違いに、そこまで意識は向かないようで、同じくらいの演奏力で比べると、自分がもっともコード進行の構造を理解している。
(もちろんプロは当然コードについて深く理解をし、なおかつセンスもあるわけだけれど)
音感(音楽のセンスといってもいいだろう)のある人が、ふわりと鳥が飛ぶように演奏するのと違って、音感のない自分は潜水艦が海図を見て進むようにしか演奏できない。たびたびこういう例えを使っていた。
これって見えない人の世界理解の話と全く同じだなあ、と思います。