半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

"Big Sun" Chassol

Big Sun

Big Sun

  • アーティスト:Chassol
  • 発売日: 2015/05/18
  • メディア: CD

このまえ地元の人とZoom飲み会をした時に、音楽の話になって出てきたもの。
私は割と狭めの"ジャズ村"の住人。(演奏者も兼ねているとどうしてもそうなるし、新しい音楽には注意を払うにしても、全方位的にはなれない)
割と広く色々なジャンルにアンテナを張っている人のキュレーションはとてもありがたいですね。
早速聴いてみた。なるほどーそういうことか。

Chassol(シャソール)はフランス出身のミュージシャン。
高度な音楽教育を受けた人の常として絶対音感があるのでしょう。絶対音感がないと絶対できないスタイルの音楽。
例えば、絶対音感の人って、救急車のサイレンが「シーソーシーソ」とか、鳥の鳴き声が、ミだよーとか言ってくれるじゃないですか。
あれをさらに突き詰めて例えば市場での売り子の口上をメロディーにしてそこから曲を展開する感じ。
ま、どうしても無調音楽ぽくはなりますが。

わかりやすく言うと「日常空間と音楽との共存」という命題を、
例えばソニーウォークマンとは別の形で実現している。
あれは、我々の生活に既存の音楽を重ねると世界が全く違って見えますという方法。
対して、Chassolは我々の「生命の音」をそのまま音楽にトランスクライブできないかというやり方。
 生活音と同時に脳内で音を重ねて音楽を脳内で構築しているようなものだ。
口さがなくいっちゃうと、きわめて統合失調症的な手法ではある。


日常空間と音楽の相違と共存、は古くて新しい話ではある。
そもそも古典音楽も、題名は何らかの我々の生活の主題がつけられており、昔の人も、リアルライフの何かをイメージして音楽を構築していることは確か。
「熊ん蜂の飛行」なんてやつは、実際楽器で、蜂のブンブン音っぽい感じを表現していますよね。
現代音楽ではこの手のアプローチは常套句で、古典音楽から現代音楽の移行期、無調音楽音楽の形式論を逸脱するために、理論的な考察が繰り返された。
それはまた言語学の音韻論と音響論、とかシニフィエシニフィアンとかラングとパロールとかそういう話にも繋がってゆく。
こういう話は僕のちょっと上の世代のニューアカ的な世代では随分議論されたはずだ。
ただ、それが何かを生み出したかと言うと、よくわからない。
着地点が見えず哲学の枝の中では刈り込まれた枝になってしまったように思う。

僕も、オリヴィア・メシアンが、鳥の鳴き声をスケッチして作曲に生かしていたという話は知っているけど、それが結局音楽の根本構造を超えるにいたるインパクトを生み出したかどうかは知らない。ただChassolを語るにはそうした「音楽」の枠をうちやぶろうという系譜は踏まえておいた方がいいだろうな。

私は商業主義音楽人間なので、個人的には「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のBjorkの 工場の音からミュージカルに行こうする "Cvalda" とか*1には、同じ方法論を感じる。

Björk - Cvalda (Dancer In The Dark)

とか、「おぐちゃん」こと小倉久寛が笑っていいともでやっていた「クイズ サックスは最高」を思い出します。
youtu.be
と、いいますか、おぐちゃんもタモリ南野陽子鶴瓶もみんな若い!

*1:このシーンはすごくゾクゾクするけれども、正直この映画はこのシーン出てきたあと五分くらいで観るのやめた方がいいとは思う。