前回は、吉本浩二氏のヤバい漫画、『日本をゆっくり走ってみたよ』を紹介した。
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私はガチに吉本浩二氏と同じ「おじさん族」に所属するわけで「男って……」と嘆息してしまうしかないのだが。
今度は女性から世界を切り取ってみたら、こんな感じか、というやつ。
関係性や心理描写の言語化能力って男性と女性では格段の差があるといつも思う。
言葉、というものは女性が生み出したんじゃなかろうか?と思うことはよくある。
(だから男は口喧嘩では女に勝てないのだ)
『日本のヤバい女の子』は
昔話のあらすじを、今様に感想をつけるという、比較的平凡な仕掛けの本だ。
しかしこれがめっぽう面白い。
民俗学的な考証もでてくるけれども、基本的には、関係性のありようという観点で、寓話が再考され、普遍的な話がまろびでてくる。
大変おもしろい。おまけにイラストも彼女の手によるものだ。
例えば、浦島太郎の玉手箱などは、
自分の持ち物を覗き込んで、中身を見るというのは、自己の内面を見つめることに似ている。(中略)
太郎は三年間思考停止していたツケを払い、自分自身と向き合いはじめた。太郎はどこへ帰っていったのだろう。A地点からB地点に来て、元いたA地点に帰ったのではない。完全に元の場所に戻るのであれば故郷はなくなったりしないだろう。多分彼はA地点でもB地点でもないC地点に至った。
では乙姫の視点ではこの物語はどうなのか?彼女は悪意から玉手箱をプレゼントしたのだろうか?
みたいな、話。
七夕伝説で織姫は彦星の父親(鬼)から「月い一度逢瀬を許す」と言われたのに、その言葉を聞き間違い「一年に一度ですか?」と尋ねて、逢瀬は一年に一度になったのはなぜか?それは、初めてストーリーに対してイニシアチブをとったシーンであり、鬼の支配から解き放たれるために必要な行動だったのではないか?
とか。
例えばジェーン・スー氏の本を初めて読んだ時のような感じを味わった。
『百女百様』
は日本や世界(フランスが多い)の街角の女性のファッションとその背後に横たわる話。
ファッションのコンテキストや、女性の生き方などについて、いろいろ考えさせられるよいエッセイであるが、Kindle版では、テキストも画像として取り込まれているので、付箋やハイライトがつけられないので、そこはちょっと。