オススメ度 60点
胸糞度 200点
もしタイムスリップしたとして、絶対に行きたくない時代・地域というのはいくつかあると思うけど、
例えば、悪名高いスペインの宗教裁判、異端狩り・魔女裁判が行われていた頃の時代には絶対に行きたくない。
スペインの異端宗教裁判(その2)モンティ・パイソン
(これは冗談だが、ジョークになりうるほど、このカソリックの異端審問というのはきついものだったということだ)
だいたいにおいて、戦乱期の中国にも行きたくはない(戦乱期でなくても、地縁社会である中国では異邦人の人権は低いのでタイムワープ的なやつとは相性が悪いように思う)。反対にローマ帝国であるとか、ニューアムステルダムであるとか、中世〜近世のアントワープとか香港租界とか、雑多な人が交雑するようなところは、紛れこみやすいので、タイムスリップしやすいのではないだろうか。
絶対にタイムスリップしてはいけないのは、1938~45、つまり第二次世界大戦中のヨーロッパと日本だろう。
今僕らが生きている2020年も、後世から振り返れば、ピンポイントだが、タイムスリップしてはいけない時代と見なされるだろうな。
まあそんな中で、20世紀に吹き荒れた共産主義政権というのも、絶対に暮らしたくない社会だ。
貧富の差がなく平等な社会という理想のもとに作り上げられた共産主義政権は、蓋をあけてみると、秘密警察による強圧で自由にものも言えず、理不尽に収奪され、生存権の保証さえもない人類史上も稀に見るほどの隷属国家であったわけで、その理想と現実のギャップが、これほど乖離があった社会もないだろうとは思う。
共産主義がもっとも活きが良かった1920年代〜50年代(スターリンの治世にそのまま重なる)、どれほどの残虐が行われたかは、恐ろしくて考える気にもなれないが、この本は、そういう 1930年代に起こった話。
「強制収容所」のほかに、第二のグラーグといわれた「強制移住・遺棄」の地が、シベリアには多数あった。その実態がはじめて明らかになる。
発端となったのは、1933年早春、シベリアのオビ川に浮かぶナジノ島へ、モスクワとレニングラードから6000人が着のみ着のまま移送・遺棄され、そこで起きた事件だった。
スターリンが「上からの革命」(富農階級の撲滅、農業集団化、第一次重工業化)に着手したのは1929年。その結果、穀倉地帯ウクライナは大飢饉におそわれ、農民は大挙して都市へ流入した。都市では犯罪が激増する。秘密警察は1930年代前半、「大都市の浄化」と称して、流入した元富農や「社会的有害分子」の一掃を決め、西シベリアへは1933年に13万2000人が強制移住させられた。
大都市の混乱を減らし、シベリアの開発人員が必要であるという名目で、大都市で捕まえた人を、シベリアに送る。
(そういう戦略的な目的があったため、身分証を持っている人ーーソ連では移動に身分証が必要で、逆にいえば身分証と通行証があれば、移動の自由は保証されていたーーの身分証を意図的に破棄したりして人数合わせもしていたらしい…)
ところが、迎え入れるシベリア側には予算がなく、住まわせる収容所も食料もない…
そんななか漸次送られてくる人員の行き先に困ったのか、意図的なのか、何も生えていない川中の島、ナジノ島に、着の身着のままで放り出される6000人……
共産主義の人命軽視に官僚主義を掛け合わせるとこうなるのか…という見本のようなお話。
官僚主義の混乱や苦悩は、カフカの『城』っぽいところもある。
(『海辺のカフカ』も、もう18年前かぁ…年取ったわけだ)
この本は、とにかく恐ろしい。
何が恐ろしいかって、例えば、アウシュビッツ収容所だと、収容された側からの地獄が語られるわけだけれども、それは曲がりなりにも、生存者がいるからである。このナジノ島事件は、多分だれも生き延びていないから。
だから、この島で起こった地獄絵図(人肉食・屍肉食はまずまず早い段階で常態化したようだ)の被害者側からの描写がないのだ。
それが一番怖い話だわな。
日本でも、硬直した行政制度や複雑すぎる法体系の狭間で、めっちゃ困ってるのに手を差し伸べられていない、なんてことはままあるし、現場にいる人は怒りを感じたり無力感を感じたりすることもあるとは思う。
ただ、個人的には、満点ではないけど、日本の行政制度まずまずうまくやってるんちゃうかとは思う。批判ばかりしてもよくならない。
官僚機構というのは、過去このような機械的殺人機構・暴力装置にも変貌しうるものであるということは僕たちは知っておく必要がある。