半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『受験は要領』に救われた私の中高時代〜

緊急事態宣言・外出自粛で、学校は休校。
オンライン授業をやっていたりする学校もあるが、公立の中には全く動いていないところもあるとか。
口さがなく言ってしまえば、現状への対応は、学校側の問題解決能力や状況適応力の差を歴然としたように思う*1

「学習指導要領に沿って子供に勉強を届ける」ことを本分とし、子供に「勉強」というサービスを提供している人は、業務の前提条件が満たされていないので手を止めるしかない。
子供も「何のために勉強する」という大目標があれば、この環境下でも勉強するのかもしれないけど、目標がなければ、勉強なんてしないのかもしれない。

いや、現実はもっと単純で、どうしたらいいのかわからないだけかもしれない。
内田樹がいうように、「教育」とは、教育という材を売っているサービスではないのだ。
勉強である必要はない。
今は自分の知的ストックを増やすような本を読んでいればいいとは思う。
 けど、休校が続くならもう少し考える必要がある。

* * *

昔話をすると、私は広島県の公立小学校から灘中学に行った人間だ。
言ってみれば受験戦争勝ち組ということになる。

小さい頃から本の虫であった私は、大変勉強ができた。
小学校一年生の時点でマイナスの概念もわかっていたし、小学校6年生までの漢字も全部読み書きできた(字は汚かったが)。
小学校の学校のテストで100点以外をとったことはほとんどなかった(ただし運動は全くといってできなかったが)。
小学校5年生から、今では中国地方で一大勢力を誇るO塾の黎明期(二期生だったと思う)で精鋭の受験テクニックを身につけ、灘中・ラサール中学校に合格した。
地元も受けたのだが、地元の名門中学校は当時、学科試験に加えて二次試験に「クジ」があった。
半数が不合格になるという、今思うとなかなか趣深いシステム*2のために私は不合格になってしまった。
仕方なく神戸に下宿し、灘中に通うことになった。
昭和の末年くらいの頃の話である。

灘は今でもそうだが、非常に自由度の高い学校で、補習・補講などの詰め込みはほとんどない。
2時半には学校も終わる。
とはいえ数学英語などのカリキュラムの進度は速い。
監視する親もいない私は、中学1年の段階で早くも落ちこぼれはじめ、部活や読書や自慰などにうつつをぬかし、下位30%くらいの落ちこぼれ集団に位置し、楽しくもうだつのあがらない中学時代を過ごすことになる。

今にして思えば、小学生の私は塾に週4日通い、受験問題を延々と解かされていた。
ある種受験emergionみたいな環境。
ただ眼前の敵を処理していけばよかった。
そんな状況で病まなかったのか?
全く病まなかった。
なぜならその塾の支部校で完全にトップだったし塾全体でもベストスリーに入る成績だったからだ。
その当時の僕にとっては受験の問題はゲームのようなものだったし、勝てるゲームは楽しいものである。*3

ところが、それに慣れきっていた僕は、中学に入り、与えられた課題を日々着実にこなし、自分を振り返り欠点を補完する、ということが全くできなかった。ウサギとカメでいえばウサギのような存在で、小手先ばかりの小才子のまま中学に上がってしまった。こういう人は結構いると思う。勉強は出来たが、勉強の仕方を知らなかったのだ。

このままでは完全に落ちこぼれてしまうという危機感は親ばかりではなく私にもあり*4ある時この同学の先輩である和田秀樹氏の『受験は要領』を買って読んでみた。

一読した時に、僕が感じた強烈なメッセージは、
「学校のカリキュラムなんか無視して、自分で計画を立てろ」ということだった。

自分を一歩引いて見て、客観的な評価を自分自身に下すこと。
目標を立て、戦略的に課題を自分で設定する。日々の日課をこなし達成させること。
勉強時間が問題なのではなく、成果で評価すること。

今では、自分で自分の目標を立てて、それを言語化してスモールステップに要素分解して遂行してゆくようなメソッドは、比較的ありふれたものである。
だが、その当時はまだまだ学校という「権威」を無視するという考えにはかなり抵抗があった。
そういう当時の文脈で言えば、この和田氏の本はかなりふてぶてしいものであったように思う。*5

ここから私は、自分で自分の勉強を決めるという方法に転回し、完全に自学自習の徒となった。
予備校や塾は利用せずに、最終的には神戸大学の医学部に現役合格した。*6
夏休み実家に帰省していた時も、家で自分で勉強し、昼は気分転換に炎天下を自転車でうろうろし、夜はまた勉強する。
まあまあ孤独な受験生活であった。

そしてその勉強スタイルはその後も続いており、医師国家試験や専門医の試験やジャズなどに到るまで、基本的には独習のスタイルを続けている。

今にして思えば、ここにはグループ学習とかそうした視点が欠けている。
そうした勉強方法であれば、もうちょっと楽しく、効率よく勉強できたのかもしれない。
 ま、これは、時代の限界、私の限界だったのかもしれないが。

* * *

今はコロナのための休講で、学校教育は、今までのやり方を続けられなくなっている。
これは大変不幸なことではあるが、逆に学校の呪縛から解き放たれるにはいいきっかけでもあるのだ。

勉強というのは自分が自分の為にやるもんだ、という基本的な事実をもう一度確認してほしい。
今時の言葉で言えば、

生殺与奪の権を他人に握らせるな!

ということだよ。*7

*1:もちろん、政府含めて、すべての組織が試されているのだが

*2:知力体力時の運!みたいで、今あえてこれを復活させても面白いのかもしれない。今はさすがに廃止されている

*3:というわけで僕は病まなかったが、別の誰かがプライドを傷つけられたり病んだ可能性は大いにある

*4:この時の母親の狼狽と狂奔はこれまた語ると長いのだが今回は割愛しよう

*5:灘のカリキュラムはまあまあ自由度の高いものだったのだが、それでも自分の進度や理解度とカリキュラムが合わない場合には、うまく行かない

*6:これは灘的な価値観でいうとそんなにいい結果ではないのだが、中学時代に落ちきった自分の学力からすれば、まーかなりうまくやったと思う

*7:ただまあ、そういう考えがスタンダードな場合、教育格差はさらに広がっていってしまうのだけれどもね…