- 作者: 柳澤 健
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/02/03
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僕は自分より年下の子の面倒をみて育った、というよりは、なんとなく年上の先輩のお尻を追っかけて育った子だった。
初めて親元離れてした下宿では、中学1年の僕、2つ上の中学3年の先輩二人がいたからかもしれない。
三人の中で、僕だけ年下。
先輩の顔色を窺うことが、生命線だったわけだから、そういう能力が醸成されたのかも。
必然的に、自分より歳上の人たちの文化を背伸びして勉強するようになる。
大学にいって、他のコミュニティに行ってもそう。
そうやって、昭和49年生まれの僕は、本来は体験していないはずの70年代のサブカルチャーにも強い人間に育った。
「マカロニほうれん荘」や「つげ義春」なんて、僕の時代には関係ないのに*1
そんな中に70年代のプロレスがある。
大学生から社会人時代には、バーリ・ツゥード、グレイシー一家などが台頭したころだった。
僕はテレビでプロレスは基本的に観なかった。
時間が無駄だからだ。
面白いとも思わなかった。
ただ、サブカルチャーの中でも当時プロレス関係の知識は必須だったので、サブカルチャー必修単位として、プロレスを「おさえて」いた。
今思うとなんて空虚な言葉だろう。おさえる!だなんて*2。
それはさておき。
プロレスラーが総合格闘技に挑戦してゆく流れは、日本の我々にはある種当然の流れだった。
が、どうやら、日本以外の世界では、そうではなかったらしい。
世界ではプロレスはショーであり*3、試合の流れも勝ち負けも当然決まっている。
そこには真剣勝負ではないが、別の価値観と世界観がある。
そして70年代くらいから以降はプロレス文化は世界的には退潮したのも事実。
だから、総合格闘技とプロレスを同列に論じることがそもそもない。
しかし日本ではプロレスがガラパゴス的な進化を遂げ、延命していた。
それが、結局プロレスラーの総合格闘技挑戦となり、高田延彦がヒクソンにボコボコにされる歴史につながる。
その過剰にプロレスが延命してしまった、させてしまった張本人がアントニオ猪木で、
猪木のモハメド・アリ戦、ルスカ戦などの初期の異種格闘技戦(リアル・ファイト)は、その後のプロレス対総合格闘技の下地となるものであった、と。
なるほど、今こうやって歴史を振り返ると、よくわかる。アントニオ猪木の底知れなさとデタラメさが。
おそらく猪木にはそこまでの見識はなかっただろうが、「世紀の凡戦」と言われた猪木☓アリ戦は、今の視点でみると、ストライカー(打撃系ファイター)とグラップラー(組技系ファイター)の構図そのものだと。*4
その他、韓国プロレス界などの歴史も書かれ、一大プロレス史として、非常に興味深く読めた。
考えてみると、複数のプロレスラーが国会議員になるような国なのだ、日本は。
なんか、久しぶりに、先輩の興味をもっていたものを、あとでこっそり「勉強」していた頃の気分になった。