- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2010/12/25
- メディア: 文庫
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内田樹は、ウェブ上でさんざんテキストを書いているためか、どの本を読んでも、なんか読んだことがあるような気がしてしまう。だから、損したような気がしてしまう。のは僕だけだろうか。
「別に買わなくてもいいのに……」と、ほんの少し思わせてしまうのだ。
実際、内田ブログでは、ノンジャンルで大量の文章が構築されているが、それをテーマごとに抽出すると、しっかりした読み物になってしまうから、別に卑怯でもなんでもないのだが、そのプロセスが全部透けて見えるというのが、ネット時代のライターということなんだろう。
この手の「ネット上に出版物にして数冊分の大量の文章のログが残っている作家としては田口ランディも同じだ。
田口ランディにしろ内田樹にしろ、その文章テクニック自体は、Web時代以前のもので、しっかりした正調のものだ。だが、書かれたテキストすべてに既視感が漂う、という意味で両者はひどく似ている。
司馬遼太郎の本には司馬遼太郎の文体(それは、ある種体臭のようなものだ)がべっとりとまとわりついているのと同じなのだが、キャリアとしてはそれほど積み上がっていない彼らの体臭は、すでに我々は識別できてしまう。
ただ、彼らの本を買うことに、実は自分はそんなに抵抗はないのだ。ネットで似たような文章を書いて、しかし新たに本を出しても「ネットで読めるからいいや」とならないのは、彼らの著作が、ブログをつらっと眺めているだけでは記憶できないほどのボリュームがあるせいだと思う。
実は、川上弘美も、実は文章の書き始めはネット(ニフティのフォーラムとかだったらしいが)が介在していたらしいのだが、そういう売り出し方を慎重にさけ、敢えてネットでの活動を避け、オーセンティックな世界での地位向上に成功した(だって、いまや芥川賞の選考委員ですよ!しかもそれをキャリアの拠り所にするつもりもなく、著作活動はますます盛んである)
「街場」という言葉は、関西のタウン誌『Meets Regional』の文脈で語られることが多い言葉であるが、いま気づいたけれど内田のBlogの文章をあまり手を加えずエッセイ集のようにしたものに、内田氏は「街場の」とつける傾向があるようだ。
あ、ところで、この本についてだ。
内田樹的、全方位的教養人は、何を語らせても含蓄があるが、やはり、自分の所属する分野のことは、知悉している分、説得力がある。『下流志向』は、ものすごく興味深かった。今回のこの「書き飛ばし日記のなかから教育系の話だけピックアップした文章」だって、荒いけど、やっぱり面白い。(むしろ生々しくて、おもしろい。町田康の『テースト・オブ・苦虫』がくっすん大黒より生々しいのと同様)。
少し主張が年代によって異なっているが、それも敢えて統一せずに、矛盾を承知で時系列に並べたのも、誠実なやり方とも思える。もっとも、これはBlogからボトムアップされた文章の功罪なのかもしれない。
ぼくだって、適当にこんなウェブ文章書いていますが、自分に関連した分野、僕の場合は医学ですが、その話のほうが、当然説得力のあることが書ける、だろう。
(ただ、そんなのは、僕が面白くないから書かない。ここで書いているのは純粋に自分のためだから)
参考: