- 作者: 内田樹,釈徹宗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/04/12
- メディア: 文庫
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内田樹の本はなんとなく出れば買うわたしですが、最近は内田氏が、他の分野の人と対談したり共著したりする本が一定数出ています。内田氏の触媒効果にはおそるべきものがあって、対談している相手とのキャッチボールが絶妙なのか、話はどんどん良い感じにはずんで、思いもよらず論が深まるように思います。イマドキの浅薄な謂いをすれば「ケミストリー」ということになるんですかね。
武術の合気道のことはわかりませんが、会話におけるこの人のあり方はすぐれて合気道的であり、自分の構えを崩さずに相手の力をうまく導き出しているように思います。これってさり気なくすごいことだと思います。
で、これは仏教思想の釈さんとの対談。霊って何?という話。
表紙の井上雄彦さんの(バガボンドに似たようなカットがありましたが)絵もすばらしいですね。
昔は私も、自然科学の原理主義で、スピリチュアルなものについてはむしろ唾棄すべき、という立場だった。理系の男子の典型として。しかし今思うと、これは理系男子だからというのもあるし、当時の時代的な背景もあったのかもしれないとも思う。
最近はこの対談で語られているようなスピリチュアルな要素について、非常に腑に落ちています。んで、内田氏のスタンスというのは、もっともしっくり来るように思う。一言でいうと「自然科学的な意味で霊があるかどうかはわからないが、現象学的な考察をする限り、この我々の社会は死者からの声(つまり霊)がいるということを前提として構築されている。その意味において霊は間違いなく実存するよね」ということ。
以下 は私の分野にも関するところですが、印象的であった部分の抜き書きです。
(民間宗教者=ヒーラーという文脈なのか?)
(内田氏のかかりつけの歯科医の話なのであるが)
僕の生活習慣とか、ブラッシング不足とか、そういうことは一切とがめないんですよ。
釈:まさに民間宗教者ですね。
内田:そう、まさに民間宗教者!とにかく、この先生の治療だとこちらが精神的に非常に楽なわけです。ものすごく具合悪くなって行った時でも、「あらら、とんでもなくなっちゃってますねえ、痛かったでしょう」「やられちゃいましたね」とかね。けっして僕を叱らない。どこの歯医者でもやる治療はほとんど同じなんですよ。ブラッシングもちゃんとやろうね、というアドバイスも一緒なんだけれど、患者が置かれている文脈の設定が違うわけですよ。
釈先生のおっしゃった拝み屋さんのところに来る人も同じですね「あなたの不幸はあなたの生き方が悪いせいだ」とみんなから言われてきて、本人もそのことにはうすうす気づいている。
でも言われて直せるなら、「生活習慣」なんて言わない。だから物語的に生活を再演してみせる。「あなたは悪くない。外部に悪があるから、それを何とか押さえ込みましょう」という話型に落としこむ。
釈:作り話というか、一つのストーリーでテコ入れをするんですよね。
内田;患者自身をまず免罪する …
これ、すごいわかるけどなあ。例えば生活習慣病の治療などに、認知行動療法などを応用しようと思っていたけど、上記の考え方とBCTって、結構真反対なような気がする。ちょっと考えなおさないといけない。