半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

春日武彦『私たちはなぜ狂わずにいるのか』

私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫)

私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫)

 著者は精神科医精神分裂病統合失調症)はなぜ起こるか、その治療法は?ということの一般的な概説。
 精神科学というのは、なかなかとらえどころのない学問でして、実はその学者の立ち位置によっても随分アプローチが違うものです。心理学と臨床精神医学と大脳生理学は、我々が一般的に抱かれているイメージ以上に、相互に接点がない。

 そして精神科医というものが、おそらく最も世間の誤解が強いのではないかと思う。その他の研究者と異なり、精神科医には患者を治すデバイスが与えられている。20世紀に強力に開発された抗精神病薬の一セットは、それなりに強力な効果を発揮する。では実際に治療に介入出来る彼らが最もそういう疾病を理解しているかというと、実はそういった病気の機序は未だにブラックボックスの部分が大きいんです。一本筋が通った疾病理解というものは、未だにない。だから処方は経験論の部分が大きい。
 私は内科ですが、現在の内科の水準と比べると、疾病理解の点では精神医学は随分遅れています。というか、科学的な病態解明の途上にある。まこれは当然の話で、胃袋よりは脳の方が複雑ですから。「そもそも」というのが全然わかっていない。しかしそれにも関わらず、というかそれゆえに、精神科医診断学/治療学は、きめ細やかな経験論に裏打ちされています。
 しかし悪く言えば「ようわからんけど、薬つこたら治る」の世界でもあります。結果的に、臨床家としてしかるべき経験を積んだ精神科医には、独特の諦念というか、突き放した感じが醸し出されるわけで、この春日氏もそういう感じが出ていて、僕は凄く好きなんですが、一般的には好みが別れるでしょうね。

 門外漢から期待される精神科医のニーズは、「精神分析」みたいなところが未だに大きいわけでして(例:香山リカ)、ナイーブな一般の人は、精神科医はすべてをわかった上で治療をしているのだという幻想が強い。文筆家として精神科医が成功するためには、いくらかでもそういう幻想のニーズに応える必要があるわけで、多分臨床家としての本分と乖離したところの能力で勝負しなければいけないということが精神医家としての苦悩ではないかと思う。