- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/09/15
- メディア: 単行本
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長編の村上春樹と短編の村上春樹というのは、かなり違う。と前から僕は思っているのです。
長編での村上春樹は、もちろん小説として面白いにも関わらず、どこか釈然としない感じを僕らは受けるわけです。それは何かというと、どうも長編の場合は、村上春樹は、読み手である我々のためではなく、村上の個人的救済のために小説を書いているとしか思えない瞬間がプロットの中で必ず訪れるからです。小説世界に耽溺させてくれるための技巧、そうした枠から外れた事を彼は突然書き始める。それが、村上春樹の小説に対する毀誉褒貶の原因ではないかと、僕などは思うのです。
短編の場合、村上春樹のそうした切迫した個人的事情というものの負荷は感じない(それほどは)。短編における村上春樹は、長編における村上よりも、もう少しのびのびしているように見える。尤も、翻訳における彼が、一番のびのびしているように見えるわけですが。
『奇譚』、というのは結局何かというと、一言で言えば『シンクロニシティ』ではないかと思う。5つの中編において、執拗に書かれているモチーフは、シンクロニシティという言葉でくくるのが最もふさわしい。もちろん、以前の短編でも、たとえば「タクシーに乗った男」(回転木馬のデッド・ヒート収載)のように、同様のモチーフを書いたものはあるが、今回は短編集の中でこの一つのテーマを通底させて書いています。
そういう意味では『神の子供達はみな踊る』よりわかりやすいと言えます。でももちろんわかりにくい。シンクロニシティというものがそもそも、わかりにくいものだから。
シンクロニシティについてはWikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3、もしくはバキ『最凶死刑囚編』に詳しい(徳川老話すあのニトログリセリンのエピソードは嘘ですが)。
個人的には『品川猿』が一番緊張感がある作品ではなかったかと思う。小説という形において。短編〜中編の小説に求められる正しいClimaxが設定されていて、とりあえず読んで腑におちる感じがありました。ただし他の作品が嫌いだというわけではなくて、僕が一番好きなのは『日々移動する腎臓のかたちをした石』でしょうか。
『神の子供達はみな踊る』の中でも『はちみつパイ』はとりわけ心に残りましたが、これは同じ主人公の別の話です。