半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾・村上春樹

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾さんと、音楽について話をする

 医局で僕の後ろにおられる某先生が、Facebookでつぶやいていたので、購入。気がつくと近郊の書店でも平積みされまくっていた。

 大体の村上春樹の長編作品は、文庫になるまでグッと我慢するのですが、例えば『意味がなければスウィングではない』のような音楽に関する本とかは、文庫まで待てずに買ってしまう。ポートレイト・イン・ジャズもそう。なぜかわからない僕の習性なんですが、習性なんてそんなもんですよね。

 我々ジャズ人間からは、村上春樹はかなりのジャズ愛好家として認識されている。だけど、改めて考えると、『意味が〜』でも、ポップス・ジャズ、クラシックはわりと偏りなく取り上げられており、本人もいうように、クラシックも相当深いレベルで愛好しているわけです。それから演繹するに、クラシックも相当聴き込んでいるのだと知れるわけです。
 ……ですけれも、いやはや、この本にはたまげました。
 クラシックに関しても非常に深い聴き方をするのだなあと(もっとも、聴き方としては文脈依存的なものではないので、ジャンル関係なく、いいものはいいものとして聴ける人なんだなあと思う。つくづくある種の公平さを大事にする人なのだと再認識しました)。

 村上春樹は『アンダーグラウンド』をきっかけに、自分のインタビュアーとしての才能を自覚するわけですが、ここまで見事に小澤征爾に寄り添い、また小澤征爾が語ることの、触媒になり得るなんて!
 もちろん、クラシック愛好家としての深い素養にも裏打ちされていますけれども。むしろ虚心になって、小澤の語る事に響いたのが、この素晴らしいコラボレーションの成功の主因ではないかと思います。

 それにしても、村上春樹の音楽に関する感覚ってすごい、と改めて思う。
 数も聴いているけれど、村上春樹がそこらのオーディオファイルと違うところは、教養ではなく感覚なのだ。残念ながら小澤征爾がこきおろすように、レコードの蒐集家は、レコード収集数と音楽的な感覚の鋭さはあまり相関しない。感覚の鈍さを補うようにレコードを収集する人もいるわけだし。
 小西康陽のような例外もいる。でも彼はミュージシャンであるのでわからなくもない。でも村上春樹はミュージシャンですらない。でもものすごく感覚が鋭敏なのだ。

 小沢征爾に対する深い敬愛と音楽に対する真摯な気持ちが透けて見える、むねがきゅんとなってしまう一冊です。元気なくなったらこれ読もう。