半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

中井久夫『分裂病と人類』

分裂病と人類 (UP選書 221)
 ええと、母校神戸大学の精神科教授でいらっしゃった中井先生の本。
 氏の著作で僕がよく読むのはみすず書房から出ている一連のエッセイ集ですが、4年前に古本屋でみつけたこの本は、氏のコンセプトの源流が窺えて非常に面白い。もう幾度となく開いては読み返している。

 そうですね、たとえば岸田秀でいえば『幻想の未来』に当たるような本です。
 岸田氏の最もメジャーな著作は『ものぐさ精神分析』ですが、そこでは岸田氏の考え方、視点について深くは語られない。その視点を用いて現実を切り取る、むしろ具象こそに魅力がある。対して視点そのものを論理的かつ体系的に論じているのが『幻想の未来』なのです。いきおいその語り口は抽象的・演繹的にならざるをえないわけですが(こうした演繹的な書物は前世紀のそれにありがちでもある)ポストモダニズムを生きる我々にとってはこうした本は迂遠なものとして敬遠されがちである。
 したがってその「完成度」の割に決して「売れ線」にはならない。(「バカの壁」、「超整理法」などのベストセラー本にみられる底の浅さ、具象性、帰納性を想起せよ。現代の文章家の殆どは現象を掘り下げることしか興味がなく、核に語るべき思想を持っているものは殆ど存在しない。今までの哲学史を踏まえて上でオリジナリティのある思想を打ち出せる人間はますますいない。)
 この本もそういう、ややとっつきの悪い類の、どちらかというと流行ではない形式の書物ではある。だが一流の視座を持つ人間を理解するためにはやはりこうした演繹的な本が必要であろう。

 具体的な内容としては3章に別れるが、どれも独立して深い意味を持つ。
分裂病病前性格分裂病の非疾患的な発露はどのような意味があるのか。
鬱病病前性格としての執着気質について。その歴史的背景
・精神医学史とその合わせ鏡としてのヨーロッパ史

 内容は一言二言では到底語り尽くせないので、是非読んで頂きたいと思うが、個人的には第一章が感銘に残る。
 簡単に言うと、氏の考えでは分裂病は正常者と明確な断絶のある存在ではなく、分裂病において顕著に表れる性格は程度の差こそあれ「正常」人の間にも少なからず存在する。そうした性格は農耕などの定住生活ではあまり発揮される機会がないが、狩猟社会では極めて生存に有利となる。現在我々の文明のベースとなっている農耕社会は強迫的な反復を要求される社会で、しばしばこの社会の中で破綻したエス親和性格が分裂病を発症すると氏は言うのだ。これは現在の学会でもおそらく傍流であろうが、大変説得力があるように思う。

 なぜ私がこの章にとりわけ強い印象を抱くかというと、かくいう私も分裂病病前性格、氏の言うところのエス親和性格であるからである(私の祖父は分裂病であった)。氏の言う「微分回路的入出力装置」モデルは自分に照らし合わせて考えれば非常に得心がいくのだ。(もっとも中井先生にしても多分ににエス親和性格のにおいがぷんぷんするけれど)。


 殆どの精神医家は「現実」に対応することに追われ(特に最近は様々な薬物療法の習熟に注力される人がほとんどである)こうした病因的な、文明論的な話はあまり聴かれない(そういう話をしたがるのは精神分析家か哲学者に多い)。その点でも興味深いところではある。


 中井先生に関しては個人的な思い出もありますが、それはまた今度。