半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『私はブッシュの敵である』辺見庸

 ふらり本屋で購入。『もの食う人々』の人だという認識しかなかった。
 が。

 この読後感には、デジャブ(既視感)がある。そうだ、本多勝一だ。

 中学の親元を離れていたころ、本多勝一に僕は一時期かぶれた。ジャーナリズムという切り口と、その舌鋒に、世間知らずの僕はころりと参ってしまい、出自的にはどちらかというと資本家サイドに属するにもかかわらず、文庫化されていた主立ったものを読みあさった。もっともこういう僕の行動パターンは太宰治を引き合いに出すまでもなく、ステレオタイプなのだと思うが。

 やがて冷戦の終結とそれによる社会主義の崩壊、それに僕の中の成長と読書歴の変遷とともに、本多熱も冷めていった。
 社会主義国家の崩壊は、左翼文化人を中心とした少なからぬ数の人物の発言のよりどころ失せた。彼らは文字通りずぶずぶと凋落の一途をたどり、僕らは冷ややかにそれを眺めていたのだ。その頃の私は、本多もそのような凋落した文化人の中にひっくるめて考えていたのだけれど、決して本多はマルクス主義者でも何でもなかったんだということを今になって思う。確かにいわゆる国粋的な文化人とは激しく戦っていたが、決して左翼と帯同していたわけではない。敵の敵は味方というにすぎなかったのだろうか。
 冷戦の終結とともに、本多が色あせたのは、彼がマルクス主義者だったからではなく、彼がルポルタージュした様々な場所の同時代性(それに基づく伝説性)が薄れただけにすぎないのだと思う。

 辺見氏は、おそらくつながりはないだろうが、系譜としては本多氏に極めて近いと私は思った。ジョージ・オーウェルなどと同じく、(良い意味での)アナーキストの潮流にいるのだと思う。

 危うくオルグされるところだった。いや、危うくも何ともないし、さっきマル経とは関係ないっていったばかりなのに(笑)。ところで僕の世代には(1974生)「オルグ」って一般用語じゃないよな。ま、いいけど。