半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる』林伸次

バーを経営されている林伸次*1さんの小説というか、セミフィクションというか、そういうもの。

一つのエピソードに、カクテル、音楽がついてきて、おしゃれな文化っぽい雰囲気のある短編集。
オシャレっすよね。ええほんと。都会の恋模様。
ちょっと古いけど、アーウィン・ショウみたいな感じを目指しているんだろうか。

ジャズももちろんでてくるのだけれど、ジャズ喫茶ではなく、消費音楽(Wallpaper music)としてジャズを使っている人間の趣味嗜好がほの見えてよいです。

恋愛の春の終わりはキス。
既読になったのに返事が来ないことが秋の始まりなんです

うーん。
いや、うーん。(よく既読無視する男)


あと、これは本編とは関係ないけど、シンガーズ・アンリミテッドが話に出てきたわけです。

当時のアメリカの音楽ビジネスはアルバム発表後、全米ツアーをするというのが一般的な売り方だったのだが、シンガーズ・アンリミテッドはレコードの録音をステージ上では再現できないため、ツアーが不可能だった。「アンリミテッド=制限のない歌手たち」は「制限がある歌手たち」だった。

私もシンガーズ・アンリミテッド好きで、実はCompleted Boxも持っているくらいなのだが、そういう経緯はよく知らなかったなあ。
ボイス・パーカッションが取り入れられる以前の時代のユニットとしては最高峰ではないかと思っています。

ア・カペラ

ア・カペラ

  • アーティスト: シンガーズ・アンリミテッド
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2003/05/21
  • メディア: CD
  • 購入: 1人 クリック: 11回
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このアルバムがバランスとれていてオススメかと思う。
Spotifyとか、Apple Musicとか、ストリーミングサービスででも聴いてみてください。

*1:最初、え?デイリーポータルZの人?ウェブやぎの目、の人?と思いましたが、あれは林雄司さんですね。

『日本再興戦略』落合陽一

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

Kindle版はこちら。
日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

はい、今一番キレてる知識人、落合陽一の考えの一端を知れる一冊です。
非常に印象的な本でした。
2018年に読んだ本の中で、もっとも「ふーん」という言葉が出た本かもしれない。
これもNewspicks Book。

「今の日本に生きる僕らはどうすべきか」という難問に対し、
日本の欧米追従主義について、そもそも「欧」と「米」って全然ちがいますよね。というツカミから始まり、
比較的勇気の持てるような現状分析と解析、対応策が並ぶ。

ただ、非常にクリアカットに解決の考え方を示してくれるが、明確なメッセージは「既存のフレームワークを脱して、新しい考え方を」ということ。
それができると、確かに変わるだろう。しかし、それができるかなぁ……
追い詰められたら、日本はきっと変わるとは思うが、勝手に変わるのではなく、血涙を流しながら努力しないといけない。

以下、備忘録。

  • 我々の教育は、人に言われたことをやるのに特化していて、新しいことを始めるのには特化していないから。
  • 高度経済成長の3点セットとは「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」の3点セット
  • アーティスティックな価値観や考え方は、経営者がもっているべき素質の一つ
  • 研究なき開発はすぐコモディティ化する
  • 日本の歴史と伝統を冷静に見つけていくと、欧州式の概念の中には日本に合わないものも多い(その一つが平等と公平。日本人はゲームがフェアであることは意識するけれども、権利が平等であることはあまり意識しない)。「愛」もそう。愛が熱情的な感情、きずなはステート(状態)。
  • 日本をIT鎖国できなかったせいで中国のようにアリババやテンセントやパイドゥを生むことができなかった。また大きな社会変革を起こすにはまだ伝統的な日本企業が強すぎた。
  • 日本のようにフランス並みの歴史があって、中国並みの生産設備を持っていて、アメリカ並みの金融市場がある国というのはまだチャンスがある
  • 戦国時代の2つの選択肢。秀吉的世界と徳川的世界
  • 「百姓」的な生き方の再評価。いろんな仕事のポートフォリオ・マネジメントするとコモディティになる余地がない
  • 普通は多くの場合最適解ではなく、変化の多いときには、足かせになる。


個人的には機械翻訳の部分についての部分が気になった。

機械翻訳をバカにする人がいますが、それは機械翻訳がバカなのではなく、話している方が対応できていないのです。

英語→日本語、日本語→英語、とかどうでもよくて、それぞれの言語で、ロジカルに書く能力さえ得られれば、機械に理解さえできれば、すべての言語に機械が翻訳してくれる、というのは卓見。そういえば落合氏が別の場所で言っていたことだが、英語論文を指導するとき、German動詞(make, let , takeなど前置詞の組み合わせなどで、かなりの意味変化がある)を極力使わないようにさせているという。
これは、ネイティブらしさには欠けるものの機械翻訳的には多義性が排除されるので理にかなっていると思った。
多分、世の中はこちらの方に向かうと思う。
誰にでも(非生物にも)わかるように書くことができれば、全世界の人に自分の言葉を伝えることができる。
そういう時代が多分くるのだ。

その意味ではEnglish immersionとかは、むしろ時代の先を行くと見せかけて致命的なエラーなのかもしれない。わかんないけど。

隠居志願

隠居志願

隠居志願

多分、これもKindle日替わりセール。
新聞連載をまとめた本。
初老の筆者の、日々雑感、というていのエッセイ。
軽く読める。

長野の田舎に住んでいて、ワイナリーと農場をやっている人。
季節の草木などのイラストも本人の手で描かれたもの*1

さらっと流し読みしていたが、まだ電子書籍に移る前にこの人の「料理の四面体」とか読んだことがある。
初対面かと思っていたら、昔知ってた人、というのも趣のあることで*2

子供の頃の私は明るく快活な少年だった。
成績もよかったし、自分で言うのもなんだがそこそこイケメンだったから、女の子にもモテた。友達もたくさんいて、いつも人の輪の中にいたように記憶している。
が、心の中ではみんなと離れて一人になりたい、自分だけ違った道を歩きたいと願っていたのだろう。でも表立って異を唱える勇気はなくて、いちおうバスを追いかけはするのだった。

このくだりは、なんかムカつくな。僕も含めて大方の人が逆だっつーの。

玉村豊男Google検索をかけてみると、広大な農園、借金…みたいな物騒なキーワードばかりが並ぶ。
覚えていないけど、ブロードキャスターのコメンテーターとかもやっていたんですね。
確かに派手な世界で、十分やっていけている人なわけで、そういう意味では、長野に農園をもち、元祖田舎暮らしを実践し、俗世の交わりを薄くするというのも、人生の処し方としては、一つの見識であると思う。

それにしても、長野に住んでいながら、車の免許も持っていないという、生粋の都会人。
すげーな。

この人は真摯に人生を歩んでいるし、言っていることに嘘はないんだけれど、なかなか皆が歩めるわけではない道ではあるなあ、と思う。
でも、この「田舎ぐらし」というのは、一見「僕にもできそう」と思わせてしまう魔力があるよなあ。

*1:これ、ギャラ総取りで、結構おいしいですね、よく考えたら。

*2:このブログ、検索してみたが、残念ながら見つからなかった。こういうときには読んだ本をすべてレコードしていたら良かったのにと思う。

『信長はなぜ葬られたのか』安部龍太郎

これも日替わりセールで買ったような…あまり覚えていませんが。

安部龍太郎氏は小説家。司馬遼太郎もそうだが、小説家は、小説を書く時ぶ読み込んだ資料などがあるもんだから、どうしても二次創作としてエッセイを書きたがる。

この本の眼目は、安土桃山時代を国内問題だけで語ることはできない。そこにはスペイン・ポルトガルの東アジア戦略のようなものも絡んでくるし、例えば豊臣秀吉朝鮮出兵も、荒唐無稽な政策というわけではなく、海外事情などを斟酌すると、それなりの妥当性があったんじゃないか?という主張。

今の日本でも、国内政治だけでは起こっていることの半分も理解できないが、戦国〜安土桃山時代は江戸期と違って、東アジアの政治がかなり流動的ではあった。
なので、この本に書かれていることはあながち間違っているわけではないが…、しかし釈然としないな、と思ってはいた。

ちょっと前に、この『陰謀の日本中世史』を読んでいたのだが、その中に

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

だが日本中世史学会において、本能寺の変はキワモノでしかない。日本中世史を専門とする大学教授が本能寺の変を主題として観光した単著となると、藤田達生氏の『謎とき本能寺の変』くらいしか思いつかない
歴史上の陰謀をめぐる議論ほど、歴史学界と一般社会との温度差が顕著なものはあるまい。

うわぁー、バッサリ。
陰謀の背後を探ることに学問的な意義はない。
それでは、陰謀の考証を厳密にすることにどれだけの意義があるか?というと、
それはまあそこに男のロマンがあると言えば、まあそれはそれでいいのだろう。

『完本1976年のアントニオ猪木』柳澤健

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

僕は自分より年下の子の面倒をみて育った、というよりは、なんとなく年上の先輩のお尻を追っかけて育った子だった。
初めて親元離れてした下宿では、中学1年の僕、2つ上の中学3年の先輩二人がいたからかもしれない。
三人の中で、僕だけ年下。
先輩の顔色を窺うことが、生命線だったわけだから、そういう能力が醸成されたのかも。

必然的に、自分より歳上の人たちの文化を背伸びして勉強するようになる。
大学にいって、他のコミュニティに行ってもそう。
そうやって、昭和49年生まれの僕は、本来は体験していないはずの70年代のサブカルチャーにも強い人間に育った。
マカロニほうれん荘」や「つげ義春」なんて、僕の時代には関係ないのに*1

そんな中に70年代のプロレスがある。
大学生から社会人時代には、バーリ・ツゥード、グレイシー一家などが台頭したころだった。
僕はテレビでプロレスは基本的に観なかった。
時間が無駄だからだ。
面白いとも思わなかった。

ただ、サブカルチャーの中でも当時プロレス関係の知識は必須だったので、サブカルチャー必修単位として、プロレスを「おさえて」いた。
今思うとなんて空虚な言葉だろう。おさえる!だなんて*2

それはさておき。

プロレスラーが総合格闘技に挑戦してゆく流れは、日本の我々にはある種当然の流れだった。
が、どうやら、日本以外の世界では、そうではなかったらしい。
世界ではプロレスはショーであり*3、試合の流れも勝ち負けも当然決まっている。
そこには真剣勝負ではないが、別の価値観と世界観がある。
そして70年代くらいから以降はプロレス文化は世界的には退潮したのも事実。
だから、総合格闘技とプロレスを同列に論じることがそもそもない。

しかし日本ではプロレスがガラパゴス的な進化を遂げ、延命していた。
それが、結局プロレスラーの総合格闘技挑戦となり、高田延彦ヒクソンにボコボコにされる歴史につながる。
その過剰にプロレスが延命してしまった、させてしまった張本人がアントニオ猪木で、
猪木のモハメド・アリ戦、ルスカ戦などの初期の異種格闘技戦(リアル・ファイト)は、その後のプロレス対総合格闘技の下地となるものであった、と。

なるほど、今こうやって歴史を振り返ると、よくわかる。アントニオ猪木の底知れなさとデタラメさが。
おそらく猪木にはそこまでの見識はなかっただろうが、「世紀の凡戦」と言われた猪木☓アリ戦は、今の視点でみると、ストライカー(打撃系ファイター)とグラップラー(組技系ファイター)の構図そのものだと。*4

その他、韓国プロレス界などの歴史も書かれ、一大プロレス史として、非常に興味深く読めた。
考えてみると、複数のプロレスラーが国会議員になるような国なのだ、日本は。

なんか、久しぶりに、先輩の興味をもっていたものを、あとでこっそり「勉強」していた頃の気分になった。

*1:これは、あとで同年代〜年下の女性と話すときの弱点となった。話が合わないのだ

*2:いわゆるサブカルクソ野郎ですよね。

*3:どちらかというとサーカスに近いくらいだ

*4:惜しむらくは、猪木がタックル→テイクダウンの技術をもっていなかったので、ストライカーに近接できなかったのが、見せ場がなく凡戦と言われた理由らしい。

Frank Sinatra "The Christmas Album"

The Christmas Album

The Christmas Album

僕のパソコンのアーカイブの中には、Brazilian MusicとかMotownとかの変則クリスマスアルバムが入っている*1
がこの度、正統派中の正統派、Frank Sinatraのクリスマス曲集を買った。
CDで買ったのだが、今ドキは、Apple MusicやSpotifyなどのストリーミングで聞き流してもよかったのかもしれない。

1957年作のシナトラ絶頂期のアルバム。
内容は、まあ…完全に、シナトラワールド。
シナトラは自前のビッグバンドをもってるので演奏はその人達。
どっからどうみてもシナトラ。

今では個性やオリジナリティ尊重っつったって、この頃はアメリカ音楽界も、売れりゃなんでもいいらしく、
メル・トーメで有名なクリスマスソングも、ビング・クロスビーで有名なホワイトクリスマスも入っていて、節操はない。
ただ、まあその分お得だ。
ある種の教材ですな。

もうクリスマスは過ぎてしまったので、来年また仕込み(クリスマス時期のライブ用に)ましょ。

*1:大体CDキチガイだった10年前に買ったものだ

『あたらしい朝』黒田硫黄

学生&独身の頃黒田硫黄の作品が結構すきだった。
一時期断筆(実は病気だったらしい)していたのだが、その頃の僕は結婚したり、子供が出来たりして、そういうマンガ的文物から遠ざかっていて、
自分としては気になりつつも、忘却の彼方へ。

『茄子』にしても『セクシーボイスアンドロボ』にしても、竜頭蛇尾のようでもあった。

プロットや構図、ダイアローグに、はっとする構成力が光る。
筆ペンのような荒いタッチで、一見ものすごくラフに書いているようで、しかし根底には確かな作画がある。
ものすごい上手い人の、ものすごい速い絵*1

どちらかというと長大な構成力で魅せるタイプではなく、
短距離走者のような、瞬間最大風速の描き手。

物語は、そうですね手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の舞台に近い。
日本とドイツ、Uボート仮装巡洋艦
戦前のドイツ、道端で大金の入ったトランクを拾った二人のドイツ青年…というところから、
第二次世界大戦という混沌を舞台として、話が転がり転がった挙げ句、行き当たりばったりなのか、狙いすましているのか、
平凡の青年の非凡な旅が終わる。

大法螺吹きの掌の上で転がされたような、奇妙な読後の快感がある。
戦争時代の閉塞感も、すこんと抜けた青空も。

あと、ドイツが緒戦大勝利、というのを絵で表現するのに、
パチンコ台を打っていて大当たりしているヒットラー(顔はあえて見えない)、としていて、
めっちゃ膝を打った。
これだけでもこの漫画を読んだ価値はあったかな*2

参考:
アドルフに告ぐ
アドルフに告ぐ 1
茄子
茄子(1) (アフタヌーンコミックス)
セクシーボイスアンドロボ
セクシーボイス&ロボ(1)

*1:ちょっと違うけどめちゃくちゃ締切に追われている時の冨樫先生、みたいなものをイメージしてもらえばいい

*2:同様の表現はもう一つあった