- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2018/01/31
- メディア: 単行本
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- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2018/01/30
- メディア: Kindle版
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はい、今一番キレてる知識人、落合陽一の考えの一端を知れる一冊です。
非常に印象的な本でした。
2018年に読んだ本の中で、もっとも「ふーん」という言葉が出た本かもしれない。
これもNewspicks Book。
「今の日本に生きる僕らはどうすべきか」という難問に対し、
日本の欧米追従主義について、そもそも「欧」と「米」って全然ちがいますよね。というツカミから始まり、
比較的勇気の持てるような現状分析と解析、対応策が並ぶ。
ただ、非常にクリアカットに解決の考え方を示してくれるが、明確なメッセージは「既存のフレームワークを脱して、新しい考え方を」ということ。
それができると、確かに変わるだろう。しかし、それができるかなぁ……
追い詰められたら、日本はきっと変わるとは思うが、勝手に変わるのではなく、血涙を流しながら努力しないといけない。
以下、備忘録。
- 我々の教育は、人に言われたことをやるのに特化していて、新しいことを始めるのには特化していないから。
- 高度経済成長の3点セットとは「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」の3点セット
- アーティスティックな価値観や考え方は、経営者がもっているべき素質の一つ
- 研究なき開発はすぐコモディティ化する
- 日本の歴史と伝統を冷静に見つけていくと、欧州式の概念の中には日本に合わないものも多い(その一つが平等と公平。日本人はゲームがフェアであることは意識するけれども、権利が平等であることはあまり意識しない)。「愛」もそう。愛が熱情的な感情、きずなはステート(状態)。
- 日本をIT鎖国できなかったせいで中国のようにアリババやテンセントやパイドゥを生むことができなかった。また大きな社会変革を起こすにはまだ伝統的な日本企業が強すぎた。
- 日本のようにフランス並みの歴史があって、中国並みの生産設備を持っていて、アメリカ並みの金融市場がある国というのはまだチャンスがある
- 戦国時代の2つの選択肢。秀吉的世界と徳川的世界
- 「百姓」的な生き方の再評価。いろんな仕事のポートフォリオ・マネジメントするとコモディティになる余地がない
- 普通は多くの場合最適解ではなく、変化の多いときには、足かせになる。
個人的には機械翻訳の部分についての部分が気になった。
英語→日本語、日本語→英語、とかどうでもよくて、それぞれの言語で、ロジカルに書く能力さえ得られれば、機械に理解さえできれば、すべての言語に機械が翻訳してくれる、というのは卓見。そういえば落合氏が別の場所で言っていたことだが、英語論文を指導するとき、German動詞(make, let , takeなど前置詞の組み合わせなどで、かなりの意味変化がある)を極力使わないようにさせているという。
これは、ネイティブらしさには欠けるものの機械翻訳的には多義性が排除されるので理にかなっていると思った。
多分、世の中はこちらの方に向かうと思う。
誰にでも(非生物にも)わかるように書くことができれば、全世界の人に自分の言葉を伝えることができる。
そういう時代が多分くるのだ。
その意味ではEnglish immersionとかは、むしろ時代の先を行くと見せかけて致命的なエラーなのかもしれない。わかんないけど。