半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

新田次郎『剱岳 点の記』

昭和の作家、新田次郎の代表作の一つ、『剱岳』だいぶ前に買ったんだけど*1積読になっていたので、改めて読んでみた。

最近山歩きとかしている自分にとって、以前よりは興味のわくような分野になったので、読めるんじゃないかと思ったのだ。

それにしても明治になって、「誰も登ったことがない」剱岳に死ぬような思いをして登ってみたら古代の山伏が置いたのであろう錫杖が頂上にあったという事実は、非常に面白い話ではある。

読んでみた。
なるほど。こんな感じ?

新田次郎氏の作品は、八甲田山もそうだけど、映画になっていたりするので、さぞかし映画向きなんだろうという先入観で読んでしまうんだけど、正直にいって原作は、二時間にきっちりクライマックスが訪れる映画というフォーマットに向いていないよなあ、と改めて思った。
どちらかというと、主人公は淡々と仕事をこなす、その職業人の淡々さというものが、小説からは窺える。
たとえば、剱岳だと、山岳会とも争いつつ、登頂が不可能と思われるとても難しい山に観測隊が登る、というドラマのクライマックス、八甲田山も、大量に遭難者がでて遭難死が生じる、クライマックスと思われる場面。
映画的な作りならば、小説の8割か9割くらいの場所に配置されるはずだが、小説では6割くらいの場所に配置されている。
んで、わざわざ、剱岳なら、そういう登頂を成し遂げたあとの業務が淡々と描かれるし、八甲田山も、死んだ兵士の銃が一つ足りなくなった問題の後日譚が延々と描写される。
いいことであれ悪いことであれ、すごい出来事があっても、すごくない日々が淡々と続くという、リアルさが、新田次郎氏の小説にはあって、それは結構好きなんだけど、映画ではそれはなかなかうまく描けないから、大胆にトリミングをせざるを得ない。

それは、広々と見渡せる山の風景そのものと、観光向けに絶妙に配置された高峰の絵葉書の写真くらい、違う。
小説世界の「基本的に世界は退屈で淡々としている」という雰囲気の方が僕は好きだが、映像化は難しいなは思う。

錫杖のくだりも、淡々としている。
その淡々さは嫌いじゃないんだけど、もうちょっとなんとかならんかったんかいな、とは思う。
ビッグ錠氏の「包丁人味平」にでてくる登場人物くらいのテンションで驚いてほしかった。

*1:2019/2のようだ