半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

敗北の作戦参謀

昔、司馬遼太郎がインタビューした陸軍参謀というのは、まさにこの人だったんじゃないかな、と思った。

この本は日本陸軍の服部卓四郎という人物に対する評伝本である。


司馬遼太郎はノモンハンについてはエッセイなどでは触れているが、小説にはしなかった。
司馬は膨大な資料を集め、関係者への取材を重ねて執筆の直前までいきましたが、最終的に「日本人であることが嫌になった」と筆を折りました。

理由の核心は取材に同行した半藤一利がのちに書いた『ノモンハンの夏』に語られているらしい(未読)が、その後『この国のかたち』をはじめとしたエッセイで、大日本帝国陸軍の構造的欠陥の露呈の始まりがノモンハン事件にある、ことを繰り返し書いて強調していた。

つまりは昭和陸軍のあかん部分の象徴がこの戦争であるということ。
それは局地的な敗戦にも関わらず、ノモンハンでの日本側の作戦を企画した関東軍の参謀たちが、その責任を問われることもなく、あろうことか中央の参謀本部に栄転した事態をさしている。
ノモンハンでの作戦参謀といえば、
辻政信と服部卓四郎だが、辻という人は割と毀誉褒貶激しいキャラ立ちの方でわかりやすい「悪人」感がある。

一方、服部卓四郎氏は、
・ペーパーテストも優秀で論理構成力も巧み
・人あたりは極めて良い
・死後悪くいう人は極めて少ない

という、日本的組織の中で最適化されたような人物で、こういう人材は今の霞ヶ関にも沢山いそうな優秀な官僚タイプ。
ただ、その彼が陸軍内でどう発言しどう戦局を主導したのか、そして敗戦に際しどう責任をとったのか。
まあおわかりの通り、誰にも糾弾されないので、一切責任は取らないで、ちゃんと畳の上で大往生するんです。この人は。

その人について「敢えて」スポットを当てた本である。

流石に大本営の作戦課の記録というのは敗戦時に多くが散逸しているため、今となっては真実を検証するのも難しく、関係者に聴き取るのも難しい中で、ある程度真実に迫ろうとしているけど、まあ核心に辿るのは難しいよなあと思った。
『市民ケーン』とか『桐島、部活やめるってよ』のスタイルにはなるよね。

日本はトップダウンの権力構造でないので、ミドルの裁量権が比較的大きいのだが、この方式の欠点は、うまくいかない時の責任の所在が不明確なこと。ただ、服部卓四郎のありようは日本的な官僚組織の構造的欠陥の象徴のように思える。

人あたりがよく組織の中でも優等生な、一見して非の打ち所がなさそうな人間が立てた作戦が、国を滅ぼす、という不条理。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」というやつね。
そして、そういう人は組織の悪い結果の中でも、責任をとることはない(詰め腹を切らない)。

ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』も、「官僚組織のバグだなあ」と思うけど、日本的なバグは、服部卓四郎の例に顕れているんだろう。
そして、現代の日本官僚組織でも、こういう服部卓四郎的人物は沢山いるだろうし、この組織の構造的欠陥はフィックスされないまま、現代に至っているのだ。

本の感想としてはここから表紙にある「日本のエリートはなぜ判断を誤まるのか」について省察してほしかった。

が、まあこんな大きな命題は簡潔に答えられるわけもないよね、とは思う。
むしろ今はミドルの意思決定にAIのアシストが多分に影響していると思うんだけど、人当たりがよく、欲もなく、一見優秀でクセのない人材(AIそのものだ)が正しい答えを出す保証がないという歴史的な実例を、我々はきちんと記銘しておく必要があるんじゃないか。