半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『冷たい夏、暑い夏』

吉村昭の実の弟が肺がんになって亡くなるまでの実録小説。

吉村昭、おそらく死というものについて考え続けた作家だとは思う。
20歳の時に結核の手術で辛うじて死を免れたことが、著者の原体験であったりするからだ。

弟との会話、家族の色々な出来事を回想しながら、弟の病状は徐々に悪化し、最期を迎える。
親しい人の死病が見つかった時の家族のストレス、恐れ。人生そのものを虚しく感じる、死への忌避と苦しんでいる身内への同情と病気への嫌悪。それらがジェットコースターのように次々と襲いかかってくる。まことに死ぬ身内の家族の体験として、非常に克明に書かれているなあと思う。

ただし、流石に昭和の話であり、今の時代とだいぶ違う部分が二つ。告知と疼痛緩和だ。

当時はガンの告知などとんでもない、というのが常識だった。
実弟に対しても、吉村氏も主治医もみな、あの手この手で、癌という病名を告知しない。実弟はそれに対して、疑心暗鬼になる。そりゃそうだ、いつまでたっても病気はよくならないのだから。紙面の半分以上が、実弟が癌じゃないかと疑い、なんとかして病名を知ろうとしたり、鎌をかけたりする行動に対し、吉村氏が実弟の細君と共同して、なんとかして病名を本人に知らせないようにする、という努力に費やされている。
ガンと告知するのが当たり前の現代からすると、非常に奇妙に思われる。
どうせ、癌でないと言ったところで、病状は追いつき、最期は死に至る。
この「告知しない時代」の患者は「ああ、癌で死ぬ自分に配慮して家族は隠してくれたんだな…」と自分を納得させながら死んでゆくしかない。

この「告知するしない」は現代からみると全く無駄な努力にうつる。
似たような例を挙げると、「真珠夫人」の貞操を守ろうという無駄な努力に、読み味としては似ている。

あともう一つは、苦痛緩和治療でしょうか。
昔はよっぽどのところまでいかないとモルヒネ使わなかった。

癌とも教えられる、苦痛緩和もしてもらえない。まことに昔の患者は悲惨だったと思う。
とはいえ、緩和ケアの治療も不十分だった時代ではあるが、実弟の病状経過はやはり我々が今相対している経過とほとんど変わらないのは、
やっぱり癌はなあ……とは思う。