半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『「がんになって良かった」といいたい』山口雄也

きっかけはTwitterで、この山口雄也さんのハプロ移植後の壮絶な闘病のリアルタイムツイートが流れてきたことから。

胚細胞腫瘍、そこから生還したが、今度は白血病

普段プライマリ領域でご高齢の方の診療をしている僕には、それなりの生死のあわいを診てきた自負はある。
が、彼のような若年の癌の闘病は、あまり経験がない。
「これぞ現代の医学の頂点」みたいな集学的な治療だ。
当然生身でそれに向き合う患者さんにとっては無茶苦茶つらいのである。

しかし、数々の治療を乗り越えて数年生き抜いている彼の言は、重みがある。
しかも今もいろんな困難に見舞われているし……試練!
……とタイムラインを追いかけてたけれども、あまりに状況が壮絶なので、以前に出版されたこれを読んでみた。

Blogを多分再構成したものなんだろうけど、いやはや。
シビアな病気の告知と治療、葛藤する若者の言葉。
なんとなく、昔自分が大学生の時に書いていた日記のマインドに近くてドキドキしてしまった。

もし僕が今癌になったとしてもこういう感じには書けないだろう。

題名は挑戦的。
クソリプは沢山来たらしい。
「癌になってよかった」わけないけれど、癌になった時点から、すべてのことを受け止めて、自己決定し、治療に耐え、そして自分の言葉をきちんと世の中にアウトプットしてきたから、癌になってからの自分の人生をきちんと生きたに関しては、後悔していない、ということなのだろう。

我々は皆、定命だ。
容姿や能力や貧富もそうだが、与えられたカードで勝負するしかない。病気もその中に含まれる。
そういう意味では、彼は自分に与えられた条件の中で、最大限のパフォーマンスをしていると思う。

彼が唯一得られないのは平凡な市井の幸福。
それは仕方がない。
幸福そうに見える住宅地の家々の窓の中には、それぞれの天国があり、それぞれの地獄があるのだけれどね。
彼の苦しみは死の影の恐怖という点で普遍的ではあるが、状況はかなりレアだ。

生や死について語ることは、とても難しい。
若くして悪性腫瘍にみまわれた方の生き方はとりわけ感情を揺さぶられるものがある。

ただ、老いることから目をそむけがちな現代。
壮年〜老年期に癌になっても、それを泰然と受け止められる人も、また多くはない。
おっさんになっても癌と言われれば、予想外のことにアタフタと狼狽する。
死を自分事として受け止めるのは、現代においてなかなか難しいよね。