お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。
これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。
以前山本文緒『プラナリア』を読んだ感想がこちら。
halfboileddoc.hatenablog.com
このプラナリア、個人的には結構感心した記憶があるが、山本文緒を続けて読むことはしなかった*1が、気がついたら膵臓がんで、気がついたら亡くなっていた。
若い。
ステージ4の膵臓がん。
化学療法はかなりしんどかったそうで、(そしておそらく残念ながら膵癌のそれはめっちゃ効くもんでもない)症状があって病院に赴いてから、診断が下されて早々にBSC*2になったみたいだ。
できれば書き途中の短編集を上梓したい。
できれば、この闘病している間も、書き続けたい。
ということで壮絶な(とか書くと紋切り型だが)闘病の日記が始まる。
ただ、作家だから、患者として優れているわけではない。
作家は雄弁であるかもしれないが、登場人物の深い心理描写を掘り下げる余裕はない。
何しろ、癌の症状は次々とやってくるのだ。
死ぬことは、一度しかできないのだから、プロ患者というのはいないのだ。*3
* * *
こういう闘病記は昔は文学者の日記にのみ見られたが、最近は民主化というか1億総文筆家時代。
ブログやTwitterでも広く観ることができる。
山口雄也さんのBlogも印象的だった。
hanjukudoctor.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com
ただ、癌による闘病記の最期は、ドラマになりにくい部分がある。
通常のドラマではクライマックスに向けて詳細な描写がなされる。
だが、主観的な闘病記だと、死の数日間は、記録ができない。*4
Blogでも、腹水がたまってつらいとか、黄疸でしんどいとか、そういうとぎれとぎれのコメントがあった後に、突然交信が途絶え、一週間から十日くらい経ったあとに親しい親族からの「XXは逝去しました、葬儀は家族葬でした」みたいな
事後のコメントが入る。この、クライマックスが描写されず、落ち着いてから後報告のリアルさ。
不謹慎なたとえであるが、これって、昔のドラマにおける濡れ場シーンみたいだ。
闘病をSNSで発信するということは、どちらかというとあけすけで現代的な事柄であるのに、死だけが「奥ゆかしさ」をもって描かれてしまうところに、
死のリアルな怖さがあるね。
ああ、人は死ぬ、人は死ぬ!
(カート・ヴォネガット)