- 作者: 都築響一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/04/07
- メディア: 文庫
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体裁的につめこまれすぎていて、読みにくかったり、本が大きかったり、ボリュームが多すぎたりとか、そういう点でアクセスを阻まれることはあっても、彼が目を付けた話題は、例外なく面白い。
私にとっては「この人の言う事なら、黙って従おう」という数少ない人の一人である。
この本は、作為的な詩の世界(なんて言い方しちゃいけないけど)ではなく、認知症の老人の独語、死刑囚の俳句や、現代ヒップホップの歌詞まで、ファインカルチャーの詩に対抗する サブカルチャーの詩の世界を、丹念に素描して紹介している。
というか、普段目には止まるけれども意識しない市井の言葉群の一つ一つを、彼が丹念に集積して、彼の「ものの見方」で再構成して初めて、我々はサブカルチャー(というか、アンダーグラウンドというか)の詩の世界があることに気づくのだ。
今回取り上げるようなやつは、サブカルチャーというべきなのか、アンダーグラウンドカルチャーというべきなのか、いささか迷う。どちらも、ファインカルチャーという正調へのアンチテーゼという意味では共通であると思うのだが。
このあたりの位置づけは、そこまで専門家でもない僕にはよくわからない。
日本の文化基層というのは、政治的には戦争を通じて、文化的には「文明開化」という言葉でも自明であるように西洋文化に敗北しているねじれがあり、それは普段意識されないまでも、我々の行動と態度をいささか複雑なものにしている。
そういった歴史的経緯が、西洋のファインアート、西洋のサブカルチャー、日本独自のファインアートの、我々のなかでのランク付けを曖昧にしている。
おそらく、世界的には、西洋のファインアートが最上位にくるのだろうが、西洋のサブカルチャーと日本のファインアートの優位性は判断不能であり、ごっちゃごっちゃになっているのが現状だと思う。おそらく西洋の見方でみてしまうと、例えば日本の雅楽とか服飾文化、茶道なども、エスニック文化という一カテゴリーに堕してしまうのだ。
では、アメリカのヒップホップカルチャーと、日本の着物と、格としてはどっちが上なのか?
アメリカにおいても、日本においてさえも。
日本でいうサブカルチャー、サブカル系男子・女子という言葉でカテゴライズされる、ヴィレッジ・バンガードに行きそうな層は「キレイめサブカルチャー」にしか関心がない。
都築がとりあげるのは、そういうサブカル系の人でさえあまり好まないような、どの観点からみても、文化の最下層に位置するアンダーグラウンドカルチャーである。ここに正面切って切り込む人は少ない。根本敬、みうらじゅん、とかなのだろう。
でも、ヘンリー・ダーガー(これも西洋文化の中ではアンダーグラウンドもいいところの地位だと思うが、日本では西洋というだけでマージャンでいうと一翻あげられて、ちょっと有り難みがでている)をありがたがるくらいなら、我々は、自分達と同じ文化から勃興してきた、これらのアンダーグラウンドな文化を、きちんと受け止めなければならないのだろうと思う。
死刑囚の俳句は、沁みます。
本文にはなかったが、これは、過去にも辞世の句というものがありますから、死に臨んで読む区は意外と歴史が深い。