半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『ローマ人の物語』塩野七生

ローマ人の物語〈30〉終わりの始まり〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈31〉終わりの始まり〈下〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))
ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫)


ローマ人の物語、最終章に至るところを読み始めた。一度読み始めると、連続してよまなければ気が済まないのは、きっと塩野女史の筆の力か、はたまたこの人の人間の捉え方に、自分が共感しているからか。

しかしこのローマ人の物語シリーズ、最初は文庫が新刊されるペースで読み続けていたのだが、いつの間にか、隊列から落伍していた。しかし一気に読むほうが、自分のペースに合っている気がする。 と今自分にいいわけしてみた。
確か35巻くらいまで買っていたので、少し前から復習して「終わりの始まり」31巻から「ローマ世界の終焉」までをざっと通しで読み直し、二週間くらいかかった。

ここ最近は昼間に本を読む時間がずいぶん減ってしまった。
仕事の日は、嫁と子どもたちは七時ごろに風呂に入り、9時には床入りをしている。私はリビングで、一人益体もないテレビを観たり、パソコンでネットを巡回したりする。
リビングは微温的に居心地が良く、やらなければいけない(と私が勝手に思っている)仕事はなかなか進まない。道理で最近受験生の頃の「期末テストなどが迫っているのに全く勉強をしていない」という設定の夢をよく見る。焦燥感とすれば、似ているのだろう。


帰って本を読むのは、家族が寝静まって静まりかえった家の中でひっそりと夜しめやかに。家人達は二階で寝ている。私は夜半、一階で独り、残された風呂の中で追い焚きをしながら読書をする。眠くなると本を外に置き体を洗って出る。幸い、この本達は湯船に落とさなかった。(たまに読みながら寝落ちして本をぼちゃんと落としてしまうこともある)

ところで、本の内容。

ローマ世界はどうしようもなく堕落し、徐々に崩壊をみせていく時代の年代記である。
かなしい。

しかし、読んで思ったのは、だめな皇帝もいるが、ディオクレアヌス帝、コンスタンティヌス帝、背教者ユリアヌス帝、など、与えられた逆境の中で結構頑張っている皇帝もいるということ。限定された条件の中で、能力も高く意志も高邁な有能な人間は確実にいて、頑張って国を建て直しているように思われた。それでも、最終的にはローマ帝国は衰亡し、滅びるしかなかった。

 能力の高い皇帝は、硬直化した制度の下生えを払い、オリジナリティーのある政策を発表し、新たな問題を解決する試みにも積極的である。それでも総体としての滅びは止められないものなのか。
統治する、ということの難しさを切実に感じる。
まあ、優れた皇帝ばかりではなく、どうしようもない混乱が続く時代を間に挟むのだからしようがないのだろうか。

3世紀から4世紀、5世紀と時代が進むに連れて、蛮族の侵入に対するローマ帝国の防衛戦略が、徐々に変化したわけだが、
私は肝臓がんの治療をする内科医であるのだが、肝臓がんの治療とのアナロジーを感じながら読んだ。言うまでもなく、蛮族=癌のである。
元首政から五賢帝までのローマはStage IIまでで、蛮族に侵入されたら、直ちに迎撃に出動し、敵の領地に攻め込み、数十年は新たな侵入が生じないような防衛政策である。つまり「根治的な治療」をおこなう、ということだ。
 しかし3世紀以降のローマは ちょうど我々がStage IIIに対しTACEを行うような防衛戦略で、蛮族を一歩たりとも帝国領土に入れない、という目標は捨てて、「Total Control」を目指す、という戦略をとらざるを得なかった。Pax Romanaという言葉にいささかの欺瞞が現れる頃だ。
 末期のローマはもはや蛮族が常に帝国中に割拠している状態で、重要都市に防御軍を置いてそれぞれの都市が劫略されないように守るのが精一杯である(当然、郊外の農地などは略奪のままとなり、農地は放棄され、国家としての生産性はガタ落ちとなる)。これは癌と進行度としてはStage IVの状態だ。
そう思えば、もしコンスタンティヌス帝が現在生きていたら、すぐれたネクサバールつかいになったかもしれない。


それにしても塩野女史は、歴史上の人物に関して、実に優しい態度である。英雄が好きなのだろうと思う。
音楽の批評などもそうだが、人が、自分が好きだと思っているものを熱く語ってくれているものを読むのは楽しい。
もうすこしタイトな筆致の本 ギボンの「ローマ帝国の衰亡」を読みなおしてみよう。