半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『私が誰だかわかりましたか?』

夫と離婚して数ヵ月後、わたしは匂いをかぎたいと思う、ある男と出会った。
バツイチ子持ちで、誰かを信じることに疲れ切っていたある日、同じバツイチの男と運命的な恋に落ちた。でも、そう思っていたのは私だけだった?
40歳を過ぎての恋、反抗期の息子、産婦人科に通う友人…平凡な物語はやがて、予想を覆す結末へ。
他人を信じるとは、信じた人に裏切られるとは何か。「人を信じること」の意味を問いかける、最後の1コマまで先の読めない衝撃のセミフィクション。
フルカラーで描く、やまもとりえ渾身作。
【あらすじ】海野サチ、42歳、先日シングルマザーになった。42年間まじめにコツコツ誰にも迷惑かけずに生きてきたのに、手元に残ったのは親身になってくれぬ友人と、反抗期の息子と、その息子を養うための仕事だけ。そんなある日、サチは仕事の集まりで同じくバツイチ子持ちの男と出会い意気投合する。何年ぶりだろう、男の人の手に触れたいと思ったのは。初めてかもしれない、男の人の匂いをかぎたいと思ったのは。男とメールをするうちに恋に落ちていくサチ。しかし男は仕事と育児を理由に会おうとせず、サチはSNSなどで調べ始めるのだが…。

説明はamazonの紹介で手抜きしてしまいましたが、現代ならではのディスコミュニケーションがモチーフになっている。

そもそも恋愛の筋書きなんて、男女が惹かれあう「引力」、それに対して「斥力」が働かないと、ドラマにならない。

その斥力は、誤解、だったり、社会的立場の違いによる分断(前近代はほぼこれ)、物理的距離、すれ違い、家族の反対、他の異性による別の引力だったりさまざま。

戦後ドラマ『君の名は』は、身分の違いの悲恋がなくなった代わりに、物理的なすれ違いがドラマのプロッティングになっており、それゆえにその時代にあっていたと言える。
戦後は電話などの発達によって、こうした物理的距離さえ解消されるかに思われたが、
ポケベル、携帯、そしてスマホ、LINEなどのSNSと、コミュニケーションレベルが緊密になっているわけで、それゆえに過去のドラマを今のものとしては受け入れられない。
ドラマ作りに根本的な変革が迫られているのが現代であり、普遍的な愛を描くには苦労が多い時代だ。

生来の男と女の相互不理解性はなくならないし、
現代ならではのコミュニケーション不全もある。

そういう意味では、現代をうまく切り取っているなあと思った。昔のデバイスでは成りすましみたいなものはなかなか難しいわけで。

しかし、怖っ!いろんな意味で。