半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『暴走する能力主義』中村高康

オススメ度 90点
こういう文体も(も、ですよ)憧れる度 100点

暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

教育分野の方の本。東大の教授。
Kindle 日替わりセールで購入したんでしたっけ。

めっちゃわかりやすい入門書のような新書ではなく、一般向けに学術論文の方向性を述べているような本。
そのために、そうね、京都言葉風にいえば、文章が高級だと思います。
これは読み手を選ぶなあ。その分正確に内容を伝えようという意味では誠実な本です。

というわけで、この本を噛み砕いて言えば、

新しい時代には、旧態依然としたカリキュラムは無駄だ!新しい能力を育てるための教育が必要なんだ!
みたいにいわれて、それが教育改革の理由になっている。
前近代の階層固定社会から、近代のメリトクラシー能力主義)になってる。
しかしそのメリトクラシーそのものは時代の変化にしたがって、絶えず、形を変え、旧来のメリトクラシーのありかたを再び問い直し、どんどん形を変え、時代に適合しようとする(これをメリトクラシー再帰性という)。
今の教育現場で「新しい能力」みたいなことが問われているのも、このメリトクラシー再帰性を反映しているだけ。
これは古くて新しい話なんだ。
なので、そんなに必死こいて新しいものを追い求めなくてもいいんじゃないのかな。
冷静さを欠いて、とにかく新しいもの!といいつのる現在の教育改革の政策決定のプロセスは、反知性主義の匂いがちらつくよねー。

みたいな話だった。

どちらかというと、新進気鋭「風」の若手経営者である僕は、「職員の教育をせなあかん」「新しい時代に対応できる人材を育てなきゃいかん」みたいなことを言っている。この本もそういう内的な知的要請の文脈の中で読んだわけで。
読んでみると、どちらかというと著者から冷ややかに一刀両断されている側の立ち位置なんで、いささか戸惑ったが、確かに今の「新しい人材能力開発を」みたいなスタンス、一歩引いてみてもいいのかもしれないとは思った。ただし、地方の中小病院というのは専門職集合体であって、クリエイティブな事象に興味を示す者は本当に限られる。
その中で興味を喚起し、知的好奇心を持つものを啓発していくには、それなりに現状を変革しなきゃいけないことも事実。
んー。ちょっと考えよう。

しかしこの本は結構面白かったぞ。
結論を得て自分の職掌の問題解決を後押ししてくれるようなものではなかった(むしろ少しブレーキをかけた)が、自分にとっては必要な知識だったし、もやもやしていた部分が少し理解できた。


以下、備忘録。

  • 「新しい時代に、新しい能力のための教育を!」みたいなところででてくる議論というのは、実は新しくもなんともない。
  • PISA(生徒の学習到達度調査)とかで議論されている新しい時代に必要な能力≒コンピテンシー「異質な集団で交流する能力」「自律的に活動する能力」「相互作用的に道具を用いる能力」というのも、別に斬新な切り口ではない。
  • 「新しい能力」(今までの時代では見出されていなかった)があり、それを教育界は見出さなければならない、という呪縛にとらわれてやしないか? ずいぶん昔から「勉強=ペーパーワークだけではダメだ」という社会通念はあったし。
  • 様々な職業に必要な能力を抽出し、多重対応分析すると、「コミュニケーション能力」が中心にくる。しかし、これは「コミュニケーション能力が汎用性のある能力、というわけではなく、最大公約数的な陳腐な能力がクローズアップされただけなのでは。
  • 産業社会の選抜と配分の機構は、冷却と加熱の二つの相反する過程のバランスの上に成り立っている。韓国・日本の社会。「トーナメントモデル」日本の学歴主義は「トーナメントモデル」で、学歴固着主義的ではある。

多くの人間が競争に参加し、その社会に説得的な方法と内容で正当性が獲得されるなら、学歴主義は暫定的なメリトクラシーの基準として社会的に受け入れられる。ただし、それが唯一のメリトクラシーのあらわれ方ではない。

  • 学歴は特定の企業や特定の職場という個別具体的な場での職務遂行能力とは切り離され、能力の抽象化したもののインデックスとして機能する。それは貨幣にむしろちかい(コリンズは学歴を「文化貨幣」と呼んでいる)
  • 日本の試験風土(=素点合計主義)は、「項目反応理論」(PISAもSATも用いている)に根ざしたテストと本質的に異なる。ただし、この日本の試験風土は、こうした能力の判定方法を社会が支持しているためでもある。
  • 「コミュニケーション能力」という用語は、ミスリードされやすい。恣意的な選別を行う正当化の根拠になっていやしないか。