半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『ヤクザと原発』

もともとヤクザものの記事を書くことで定評のある記者。

アーカイブを掘り起こしてみると、以前に「ヤクザの修羅場」というのを読んでいた。

これは、ヤクザ社会との付き合い方といいますか、そういうのが印象に残っている。

さて、原発というのはもともと住民の反対運動を押さえ込んだり、用地買収などにも困難を極めているため、ヤクザ組織をとおした問題解決が、過去には普通にあった。
原発というのは金になるのだ。
だからシノギになる。

そういう前提条件と歴史的経緯があるところに、東日本大震災福島原発が爆発した。
福島原発の工事をやらなきゃいけない。やりたがる人はいない(被曝のリスクもあるし、東電に対する信頼感は地に落ち、情報もとにかく隠蔽されている印象があった)。そんなところにまともな人が喜んでいくわけはないので、とにかく人が足りない。
危険手当ということで、人件費が跳ね上がるし、それでも来ないなら、ヤクザに人集めを頼むしかない(厳密にいえば、両者は同じ意味だ)。
そういう前提で、鈴木智彦氏はいわゆる1Fに潜入取材を行う。

工員の日常や、視点が垣間見える貴重な体験記ではあるし、
キャリアの多くをヤクザ取材で過ごしてきた筆者はとにかく「ヤクザの匂い」に敏感だ。
ヤクザの関与する余地や、ヤクザが関与しそうなビジネスに関してやたら目がきく。

もっとも、ヤクザ=反社会組織とラベルを貼り、関係を断とうとする現在の風潮は、ある種のことなかれ主義ではある。
半世紀前は、色々な社会のコンフリクトを彼らを用いて解決するという問題解決法は当たり前のことだった。
昭和の芸能界なんてヤクザ社会との親和性が非常に高いものだった。
だからといって、美空ひばりを歴史から抹消してはいけないし、
ドラッグをやっているからといって、チャーリー・パーカーマイルス・デイビスを歴史からなかったことにするものではない。

偉大なアーティストだけが別格視されてその他の人間は抹消されるのは不公平だ。
その時代にはその時代なりの基準があるはずで、
その時代性をきちんと評価するべきだと思う。

* * *

まあ、原発については、時代の徒花という感じはぬぐえない。
今新しく原発を建て替える、もしくは今ある原発を改良して使い続けるにしろ、過去に使えたヤクザを用いた用地購入などは、現代では許されない。
ガイガーカウンター以上に、「クリーン」であることが求められる。

そんななか、新たな原発建設は、多分無理だろうな。
廃炉だって、うまくいくんだろうか?