半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

堀井憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』『いつだって大変な時代』

堀井 憲一郎は、京都市出身のフリーライター、コラムニスト。週刊誌「週刊文春」に「ホリイのずんずん調査」を長期連載していたほか、テレビ・ラジオへの出演もある(Wikipedia)。ま、マスコミとか時流に乗って生きていた人である。
そういう人が、時代について語っている本、二冊。

『いつだって大変な時代』は、2010年からこれから先の時代を生きる時に、どうやって考えていこうかなあ、みたいな本。
コロナより随分前、2010年代の黄昏感を反映しているようだ。

「大変な時代」ってあんまり言わないほうがいいと思うよ。

  • 人はいつだって今は大変な時代だ、と答えてる。でも「今は大変な時代だ」と屈託なく言えるのは、自己愛の表れである
  • あとからならなんとでも言えるよ、それはずるいだろ、という意識がないと、どうなるか。あとから考えた意識で、当時の自分の意識を塗り替えてしまう
  • 日常を維持して、毎日を過ごしてゆくためには、いまは大変な時代だ、と考えていた方がラクなのである。

 今の時代感も、因果応報だよね

  • 集団を形成して、その集団が破れないようにしておくことが、われわれが種として存続する最低条件なわけ(中略)その枠内で「個性をもって生きる」のは、集団の事情が許す限りはいいことだと思う。
  • 個性ばかりを尊重してゆくと、死が隠されてゆく。世界にふたつとない自分の存在という自我ばかり拡大していくと、世界がどんどん歪んでいく、ということである。
  • 個が完全に尊重される社会では、子供は増えない
  • 社会が貧乏になり、集団への帰属が高まると、少子化はとまる
  • 無縁社会は必死でわれわれが頑張った結果である。おれたちは無縁社会を作ろうとすごく頑張った。無縁になっても大丈夫、無縁でも生きていけるという社会ができて、すごく喜んでいた。
  • 有縁社会というのは、たとえば結婚相手は自分で選べない。(中略)人は社会存続のための道具

過去の総括っていうのも、やり方を考えないと。

  • バブルは、はっきり言っておくが、あれは、貧乏人の祭りであった。貧乏人の祭りでしかなかった。その感覚が消されてしまう。
  • 戦争の被害者に語らせても、あまり意味がないでしょう。(中略)そこから「その災害を引き起こす原因はなんだろうか」という教訓は全く引き出せない。(中略)それよりも戦争反対者がやらなければならないのは戦争を積極的に支持していた市民に、きちんと語らせることだろう。おいそれと語ってくれないだろうけれど。
  • 成人男子の存在は、本来かなり無駄なもの(男子は存在そのものがブリコルール)
  • マジに行動しないとやばい時」は、まず、人は騒がない。黙って行動する。なんだか妙だなと思ったときは、みんなと同じように動かない方がいい
  • そもそもいまの政府は、私たちの反映である。あの人たちは私たちなのだ。(中略)彼らさえうまくやってれば、もう少しましなことになったんだろうと、そう考えることがなかなかできない。

というような話が、語り口調のようなモノローグで語られる。まるで焚き火を前に口を開く村の古老のように。


『やさしさをまとった殲滅の時代』は
1990年代から2010年代を振り返って「あの時代はこういう時代だったんだな」と総括している本。
都市生活を営み、時流に乗っていた筆者が、静かにその当時の時代を振り返って書いているさまも、これまた重みがある。

  • バブル〜1990年代。圧倒的な変革が静かに貫かれていた時代
  • ゼロ年代は「見た目のクリーンさが整えられ、そのぶん生活危険度が増してゆく」時代でもあった。
  • インターネットや電子メールが画期的だったのは「お遊び」分野での連絡が飛躍的に簡単にとれるようになった、ということ
  • インターネットは「新しい善きもの」として降臨した
  • 「自分より上位のものをひきずりおろす「呪い」の力が始動した瞬間(日韓Wカップで韓国とドイツ戦で、2chの呼びかけでドイツを応援する日本人が集まった)
  • 父性というのは、社会全体で不要だと判断すると、きれいに消えるのだ。
  • ゼロ年代は少女たちの性欲の開示の時代でもあった
  • 祭壇のない祭り(コミケ
  • 若い男性の「世間」の消失。
  • クリアでソフィスティケイトされた社会では若い男の居場所がなくなる
  • 街の動きを情報誌が捉えて拡散する雑誌の機能。男性のコミュニティがなくなってしまった。
  • 「公的な視座がなくなり、「私」からの糾弾になる
  • 若者の現場から「目に見える暴力性」がどんどん抜かれていっている。
  • 個が尊重され、その結果、美しく孤立する。美しい孤立に慣れてしまえば、見知らぬ人と連帯してゆくのは、ただ面倒に思えてくる。
  • 社会の中心に据えられるのは「母の持つ包容力」になる

2つ読めば、筆者の主張はなんとなくわかる。そして世代論的に、うなづけるところも多い。

* * *

しかし、なんだろう?この読み味。
新しい話は一切ない。かつての我々、今の我々の在り方を振り返っている。
難しい語彙もないし、語り口は平易だ。
なんだかぼそぼそと述懐しているようだが、しかし語っている内容には、はっとさせられる意味はある。
でも新しい情報はない。でも、通ってきた我々の足跡、考え方を整理するには、ちょうどよい本だ。

肉や魚のような派手さはないが、自分頭の中が整理された気がする。
うん、つまり、「食物繊維」のような読み物だな、と思った。